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【啓発】桜鑑賞の中日習慣対比:集団イベントVS「一枝に咲く梅の花」

2015-04-03 人民網日本語版 人民网日文版


3連休となる清明節(4月5日)に旅行を計画している人が多いだろう。日本は現在花見シーズンを迎えている。春節期間に日本で「爆買い」した中国人観光客が話題になったが、今度は桜のシーズンに花見を楽しもうと中国人が大挙して日本に訪れている。


上海日本総領事館の統計によると、3月に中国人に発給した観光ビザは過去最多の14万6000件になったという。これを受け、日本のメディアは、中国人観光客が花見のために大挙して日本を訪れる現象に、「爆花見」という新たな言葉を作り出した。日本人は中国人が訪日して消費することを熱烈に歓迎する一方、一部の中国人観光客の「旅行マナー」に対してかなり苦々しい思いを抱いている。個人的には、日本を訪れ花見を楽しむなら、「なぜ?」という問いかけをするべきだと思う。つまり日本の桜はなぜこんなにも美しいのか?中国人は美しい桜の花からどんな啓発を得るべきなのか?


桜は、日本の集団文化の象徴

本の国花である桜は、一輪一輪の花は小さく目立たないが、個の集合体として見ると非常に華麗で美しい。このことは、私に中国の牡丹を思い出させた。牡丹の花は、桜とはまったく異なり、常に個としての美しさを放っている。牡丹はひっそりと佇む孤高の花で、富貴栄華を象徴しており、中国の詩人はよく自分の孤独や哀切の思いを牡丹に託して歌に詠んだ。


は日本の国民性、つまり集団性を表していると言われている。だが、こんなにも華麗で美しい花がどこにでもあるのなら、どこの国の人々でも、桜を国花とするだろう。「一方水土養一方人」(環境は人を作る)というが、桜の性質は日本人に影響を及ぼしたのだろうか?あるいは、日本人自身の性格によって桜が国花に選ばれたのだろうか?これは、永遠に解けない謎である。


花見は、日本最大の集団イベント


は日本の集団文化の象徴である。そのため、花見はほぼすべての日本人が参加する日本最大の集団イベントと化している。この列島の津々浦々に住む膨大な数の人々が移動する中、花見を心の底から楽しむ鑑賞イベントにしようと思えば、日本人の「集団性の秩序」や「習慣となった花見のルール」に反して実現させることは難しい。もちろん、花見のルールが全員同じであるわけではないが、一般的な日本人が守るべきだと考えているルールは以下の通りだ。


1、桜は美しい生命であり、絶対に枝を折ってはならない。一般の日本人は桜の木の根を傷つけないようにと、自分たちが座るイスやビニールシートなども桜の根元に置かないように気を付けている。

2、美と人の行動は密接につながっている。花見をする際のルールとして、自分が出したゴミは家に持ち帰ること。日本人は桜の季節の美しく幻想的な世界がゴミによって汚されてしまうことを非常に嫌っている。

3、花見をする際、お互いに尊重し、譲り合うことで、和やかな雰囲気になる。それによって、花の美しさを堪能し、お互いに感応し合える。場所取りではなるべく場所を控えめに確保し、鑑賞時間を短めにし、多くの人と一緒に美しい景色を共有できるようにする。

4、日本人は、夜桜を鑑賞するのが好きだ。朧月や闇にぼうっと光る幻想的な花、花の色に染まった月、見え隠れする美、夜桜を見ていると、まるで心が夢の世界と夜の闇の境界を漂っているように感じる。しかし、その場がうるさかったとしたらどうだろう。近所の住民に迷惑がかかるだけでなく、夜の風や桜の花の静かな囁きを聞きに来た人々の迷惑にもなる。このため、花見には静けさに満ちた空間が最も重要となる。他人のことを考え、幻想的な美を鑑賞するためにも騒音を出さないように気を付けたい。

のように桜の花は日本の集団文化の象徴であり、それぞれの花びらが連なり、寄り添い合うことで、全体として見ると、川が海に流れ込むように、あらゆる場所で咲き誇る壮大な風景となる。現代の都市や景色の中で見られる桜の美しさは、このように古代より綿々と続いてきたものだ。そして、これは日本人の桜の花を慈しむ心から生まれたものであり、集団精神のルールと何世代にもわたる保護によって形成されてきたものだ。


中国人の個人主義的な鑑賞習慣を変える

本人は基本的に中国人が日本に訪れて花見を楽しんだり、買い物したりすることを熱烈に歓迎しているが、一部の中国人観光客の不当な行為に対しては、苦々しさとやるせなさを感じている。最近の日本のメディアによると、花見スポットで、中国人がゴミを散らかしたり、写真を撮るために桜の枝を引っ張ったり、何もオーダーしないのに花見の座敷に長時間居座るなどのマナー違反が多く見られているという。特に、トイレを使用する際に、トイレの中を汚すだけでなく、トイレに備え付けられているトイレットペーパーを全部持ち去るなどの非常識な行為も見られる。700本の桜を有する日本有数の花見スポットである東京の上野公園には「花見のマナー5原則」を告知する中国語の看板が設置されている。


本の花見は国民全員が参加する一大鑑賞イベントである。中国人が日本を訪れて花見をするのであれば、桜の花を観賞すると同時に、桜の美しさに同化することを学ぶべきだ。しかも、桜の花の美しさは日本の集団文化の美からなるものだ。トイレを例に挙げると、教養のある日本人はトイレットペーパーを使用した後、次に使う人が便利なように、気分がいいようにと、トイレットペーパーの先を美しい三角形に折りたたむ。これは、日常生活の習慣にすぎないかもしれない、あるいは次の使用者が便利なようにと思っただけかもしれない。それでも、後の人に対する途切れることがないきめ細やかな気配りの中に、生活の中に浸透している「後世に続いていく」美意識あるいは道徳観を見ることができる。そして、そこには日本人の未来に対する深い責任感と優しい祝福があるのを感じずにはいられない。


「一枝に咲く梅の花」を愛でる中国人の個人主義的な鑑賞習慣も決して非難されるべきものではないが、日本を訪れ、世界で唯一の日本の国民的行事「花見」に参加するのであれば、「郷に入っては郷に従え」の実行は欠かせない。このようにすればこそ、花見を堪能すると同時に、自分自身を美しい風景の一部にすることができるのだ。


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