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【匠の精神】86歳「飯炊き仙人」 北京四合院に移り住み、銀シャリ極意披露

2016-05-30 人民網日本語版  人民网日文版


     86歳ともなれば、ほとんどの人が孫をあやしながら、のんびり余生を過ごしていることだろう。しかし同じ86歳の高齢でも日本人の村嶋孟さんは異なる。5月26日、北京に来てわずか1日しか経っていないうちに、村嶋さんは北京の四合院で中国人に「銀シャリ」の炊き方を披露していた。彼は3年間かけて、中国で美味しいお米を探し、自身の技で中国の「銀シャリ」を炊き上げ、中国の農民たちの収入を増やしたいという。


     日本で「飯炊き仙人」と呼ばれる村嶋さんは4月26日、彼が50年あまり経営してきた大衆食堂の閉店を宣言し、中国国際貿易学会国際ブランド管理センター(以下、国際ブランド管理センター)の招待を受け、中国で「銀シャリ」の極意を伝えると発表。そしてこのほど、村嶋さんは中国を訪れ、その「銀シャリの旅」をスタートさせた。


     今回の会場となった四合院(中国北方の伝統的家屋)のオーナーの名は蔡永健さん。当日午前、国際ブランド管理センターによる村嶋さんのための簡単な歓迎セレモニーが開かれた。その席上で蔡さんは村嶋さんの「匠の精神」に感動し、四合院を村嶋さんの住居として無料で提供することを決めたと語った。


     セレモニーが終わると、村嶋さんはその場でメディア関係者たちに飯炊きの技を披露し、中国の米で中国の「銀シャリ」を炊き上げた。その場で試食した人々はその銀シャリの美味しさを口々に褒め称えた。


理想は大きく 素朴な信念貫く


     村嶋孟さんの名は日本でも非常に有名だ。美味しい銀シャリだけで大衆食堂は長年客が引きも切らず、日本の白米文化と料理の伝統における活動家とみなされており、まさに「匠の精神」の代表的存在と言えるだろう。米を炊くという日常の家事の一部を「仙人」の域まで高めることになった背景にはどのようなエピソードが隠されているのだろうか?


     「私が生まれた1930年代当時、日本は戦争続きだった。物資は不足し、茶碗一杯の熱々の銀シャリを食べられることは人生で一番幸せな事だった」と村嶋さんは当時を振り返りながら、自分の動機を分析し、「飢えを経験し、家族が一緒に美味しく食べれることができればという思いで今まで頑張ってきた」と語った。


     白米に対する特別な感情から、1963年の開店以来、村嶋さんは古くからの方法にこだわり、電気炊飯器を使わずに竈を使って白米を炊いている。半世紀以上の模索を経て、ついに精密で複雑ながら流れるようで「茶道」と並び称されるような一連の動作を生み出した。そしてその炊きあがった銀シャリは格別な自然の甘みがあり、人気を集めた。


     熱々の蒸気が上がる厨房の中で、上半身裸になって竈の火加減を調整する様子はまるで日本の白米文化と料理の伝統でできた塑像のように屹然とそびえたっていた。


訪中は一種の謝罪、そして精神の発揚


     長年培った高い評判により今年1月、村嶋氏は中国側の招聘を受け、北京で銀シャリを炊く妙技を披露し、高い評価を得た。今後、村嶋さんは3年間かけて中国各地の米の産地を訪れ、良質の白米を探し、銀シャリの技を伝授するという。またこの他にも中国産電気炊飯器の開発研究に参加するという。

そんな決定の背景には「贖罪」という素朴な感情が隠されていた。今年1月のイベント前に、村嶋さんは招聘側に盧溝橋にある中国抗日戦争紀念館の見学を申し入れていた。


     「心の中では覚悟ができているつもりだったが、写真に収められていた数々の悲惨なシーンにショックをうけ、悔恨の思いを感じると共に、涙が出るのを止められなかった」と村嶋さんは紀念館見学の感想を述べた。そしてその時に日本軍が中国で犯した罪に対する贖罪をしようと決心したのだという。

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