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ある日本人の北京での暮らし

2016-08-28 人民網日本語版 人民网日文版



大原和子さん



 私の母方の祖父一家は、北京にずっとあこがれてきた。祖父が小学生だった1910年代、鉄道エンジニアだった祖父の父と共に、家族全員が北京で生活した時期がある。祖父は妹と一緒に、ロバに乗って学校に通い、冬になると庭でスケートをしていたと聞いている。曾祖母は、その頃伊府面(卵で小麦粉を練っためん)が大好きだったという。祖父たちの北京での思い出は、我が家でずっと語り継がれ、私たちは北京に対してロマンチックなイメージを持つようになった。(文:大原和子 北京化工大学。国際在線掲載)

  

このような背景がなくとも、日本人である私たちは、中国の文化にとても親しみを覚える。子供のころから中国文化の恩恵を受け、中国の寓話や伝説を聞き、漢字を学び、習字の練習をしてきた。餃子は、日本でもたいへん人気のある食べ物だ。冬になると、街では天津甘栗やあったかい中華まんが人気となる。しかし、私が子供だった頃は今とは違い、中国はまだ開放されておらず、日本との往来も限りがあった。そのため、中国大陸部の人々はどのような暮らしをしているのは想像もつかなかった。あの頃の私にとって、中国はとてもミステリアスな国だった。

 

1970年代末になり、中国で改革開放が始まった。そして、私は北京に来る機会もでき、中国に対するぼんやりとしたイメージも少し解消された。それでも、あの頃外国人が行くことのできる場所は幾つかの観光地だけで、名所旧跡に行く観光客も少なかった。童話の世界と同じく、中国人の生活に触れることはできず、表面的なことしか感じることができなかった。

 

あれから約30年が過ぎ、夫が中国に転勤になった。夫に付き添い、私は昨年娘も連れて北京に来た。今回は以前と全く違い、行きたいところに自由に行くことができるようになっていた。来たばかりの時は、北京の道路は迷路のように広いと感じた。そして、ただ道を歩くだけでも頭がふらふらし、不安な思いに駆られた。毎日外出するたびに、ビクビクして、きょろきょろ周りを見回していた。その後、北京のいろんな所を見て回り、自分が北京の住民になったつもりで北京の街中を観察すると、ここにある全てのものがとてもおもしろく感じるようになった。

 

主婦である私の主な仕事は料理。市場では、海南省や雲南省、新疆維吾爾(ウイグル)自治区など、中国全土の各地から送られて来たいろんな野菜や果物、さらに、世界各国の珍しい山や海の産物、調味料など、何でも買うことができる。毎回市場に行くたびに、圧倒される思いになり、どれを選べばいいのか分からなくなる。

 

北京の街中は、季節によって景色が変わる。北京の歩道はとても広く、さまざまな木が道路わきに立ち並んでいる。日差しの強い夏に、太陽の光が木の葉の隙間から差し込んでいると、とてもさわやかな気持ちになる。秋の北京は、空が高く天気も爽快で、葉の色もとても美しくなる。寒さの厳しい冬になると、北京の人達は輪ゴムで一つに束ねられているかのように、互いに寄り添い合って寒さをしのぎ、春の到来を心待ちにしている。春になると、街中の木の葉が青々と茂り、きれいな花も次々に咲く。これら全ては、北京の人にとっては普通のことかもしれないが、私のような引っ越して来たばかりの人にとっては、四季の景色が新鮮で、とても好ましい。

 

私は北京の古いお寺が大好きだ。昨年の冬のある日、にぎやかな街を離れて、きれいに掃除された古い寺の中に入った。そこで木を仰ぎ見たとき、とてもさわやかな気分になった。静けさの漂うお寺で、僧侶たちが忙しそうに活動し、敬虔な仏教徒が参拝している様子は、外とは全く異なる世界で非常に印象深かった。

 

北京の人はアートが好きだ。有名な楽団やアーティストが無数にやって来ては、公演などを行っているため、普段の生活でも北京の人はアートが好きなのだと感じることができる。ある時、タクシーに乗って信号待ちをしている時に、運転手が突然スケッチブックを出して、山水画を描きはじめ、とても驚いたのを覚えている。彼は手で絵を描きながら、目は四方八方を見ていて、信号が青に変わると、すぐにごちゃごちゃした車の列から抜け出した。アートが北京の人の生活の中にこのように溶け込んでいるとは夢にも思っていなかった。北京の人は生活というアートを知り、アートある生活を送っている。このような文化的雰囲気が漂う北京で、ここの住民として暮らすことができ、本当に幸せだ。

 

北京はとても包容力がある都市で、中国全土各地の民族だけでなく、世界各地の人々も集まっている。北京の人々は、互いに打ち解けあう知恵があり、とても礼儀正しく、敬称で相手を呼ぶことも多い。北京は宗教に対しても寛容で、仏教や道教だけでなく、イスラム教などもあり、お寺もたくさんある。北京は広い器を持つ都市であることが分かる。また、北京はさすが大国の首都だと深く感じさせられる。

 

私の祖国である日本と中国の往来には二千年以上の歴史がある。一方、私と北京の縁は、祖父の代から始まった。今、一人でも多くの日本人が、私のように美しい都市北京に来て、そこにある歴史と文化、大きな器で包んでくれるあたたかさと愛を感じてくれることを願っている。




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