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【中日国交正常化45周年】BSフジで中日の音楽家の絆を描くドキュメンタリー放送

2017-04-24 人民网日本频道 人民网日文版

中国を代表する指揮者・余隆(ユーロン)と音楽家であり5代目ソニー社長としても知られる故・大賀典雄の国境と世代を超えた絆を描くドキュメンタリー「終わりなきコンサート」が23日夜8時25分から、BSフジで放送された。

「終わりなきコンサート」は、中国と日本で好評を博した、「小さな留学生」や「泣きながら生きて」などのドキュメンタリーを手掛けてきた、中国のテレビ番組をネット配信するCCTV「大富」の代表取締役社長で女性映像プロデューサーの張麗玲(ちょうれいれい)さんが企画製作した傑作。同作品は大きな注目を浴びている。

「終わりなきコンサート」は、伝説的な2度のコンサートを背景に、世界の音楽界で活躍する余隆と、大賀の十数年に及ぶあまり知られていない感動の物語を描いている。

2001年、北京国際音楽祭の招きを受け、大賀率いる東京フィルハーモニー交響楽団は北京を訪問した。しかし、オーケストラを指揮中、大賀はくも膜下出血のため壇上で倒れ、すぐに病院に運ばれた。そして、会場はコンサートの続行が難しい局面に陥った。

その時に、大賀の代役を買って出たのが余隆で、中断した「チャイコフスキー交響曲第5番」の第2楽章から再開し、見事コンサートを無事終了させた。これが中日文化交流の感動の物語の始まりとなった。

中国の病院の医師らの治療を受けた大賀は、危険な状況を脱し、2ヶ月後に帰国した。09年、東京を訪問した余隆は大賀と再会し、中日の青年音楽家の育成にどのように助力できるかについて意見を交わした。大賀は、自身が寄贈した資金で建てられた軽井沢多賀ホールで1日も早くコンサートするように、余隆と中国フィルハーモニーを招待した。しかし、11年に大賀は死去。余隆が同ホールでのコンサートを実現したのは、15年のことだった。

コンサートの前、余隆はメンバー全員と共にホール前の記念碑に献花した。また、その時演奏された曲は、大賀が倒れた時、代役の余隆が指揮棒を振った「チャイコフスキー交響曲 第6番『悲愴』」。生前かなわなかった「共演」をついに果たした。この時空を超えた二人の「約束」に会場全体が感動を覚えた。

張さんは、「今年は中日国交正常化45周年。どのように信頼を築き、強化するかは、新たな時期の中日関係を改善するためのカギとなる課題。中日の民間友好の感動的な実話を通して、両国の国民の心が近づき、中日関係の健全な発展のために良い雰囲気を作り出したい」と語る。

そして、「終わりなきコンサート」を製作することにした理由について、「この物語なら、中日両国の国民に共感してもらいやすいと思った。その主人公や東京フィルハーモニー交響楽団、中国フィルハーモニーは、中日の国民の間でも広く知られている。昔の物語と今の物語のハーモニーを音楽を通して展開でき、人の心を打つことができる。平和や美しい生活のビジョンを追求するのにふさわしいプラスのエネルギーを起こすドキュメンタリーになると思った。そして、特別に優秀な日本のドキュメンタリー監督や製作チームを招いた」と説明した。

監督を務めたのは、日本の有名映画監督の故・大島渚の次男である大島新で、「『終わりなきコンサート』は短いものの、テーマは壮大。最近あった出来事を通して、昔の物語を振り返ることができ、本当に意義深い。現在、世界や地域の情勢は不安定で、不確定要素が増加し、不安な思い、対立精神が蔓延している。そのような状況下で、このドキュメンタリーは、代々に渡る友好、日中両国の連携、平和を大切にする思いを呼び掛け、感動と共感を呼ぶことができる」と話した。

ドキュメンタリーの主人公の一人である大賀典雄の妻でありピアニストでもある大賀みどり婦人は、「丁寧に製作されたこのドキュメンタリーを見て、非常に感激、感動した。私も初めて見たシーンもたくさんあった。製作者には心から感謝している」としたほか、「当時、北京国際音楽祭の前後に起きた事は今でもありありと目に浮かぶ。この機会を借りて、大賀典雄の命を救ってくださっただけでなく、こんなに美しい友情の物語を作ってくださった北京の方にも感謝したい。そして、大賀ホールにわざわざ来てくださった、余隆さんや中国フィルハーモニーの方々にも、堅い絆と感動の音楽を提供してくださったことを感謝したい」と語った。

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