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中国の伝統的な祝日-端午節

2017-05-30 人民網日本語版 人民网日文版

 今年の5月30日に中国伝統的な祭りー端午節を迎える。端午節は毎年の旧暦5月5日で、端陽節、午日節、五月節、五日節、艾節、端五、重午、午日、夏節などとも呼ばれ、従来は夏に無病息災を祝う祭日だった、後に楚の国の詩人・屈原が端午節に川に身投げして死んだことから、屈原を記念する祭日となった。


端午節の由来



 端午節の起源にはさまざまな説があるが、最も有名なものは中国古代の詩人、屈原の伝説だろう。端午節は歴史上の偉大な民族詩人の屈原を記念するというものだ。屈原は戦国時代の楚の国の人で、楚の威王五年の夏暦の正月七日生まれ、または楚の宣王二十七年生まれ、楚の襄王九年没とされる。


端午節の美食


 端午節に粽を食べるのは中国人民の伝統的な風習の一つだ。粽は「角黍」、「筒粽」とも言い、歴史が長く、様々な種類がある。



 中国の北方では、棗を入れた甘い粽がメインだが、南方の粽の種類はより豊富で、小豆や肉、ハム、卵の黄身餡などを使い、醤油・塩味をベースとしている。北方の粽の多くは四角形や三角形で、基本的に大きい。南方の粽の形状は三角形、たいまつ型、円錐形、四角形など多様で、全体的に小さく繊細な作りとなっている。


端午節の様々な行事


ドラゴンボートレース

ドラゴンボートレースは端午節の主要な習慣だ。楚の国の人が屈原の入水自殺を惜しみ、大勢で船を出して救助に向ったのが起源だと言う。先を争って追跡したが、洞庭湖まで行くと手がかりが全く消えてしまったという。後に5月5日にはドラゴンボートを漕いで屈原を記念するようになった。船体の竜が魚を追い払って、屈原の遺体を食べないようにするという。レースの習慣は呉、越、楚の時代に盛んになった。

■匂い袋

端午節に子供達が匂い袋を下げるのは、無病息災を祝うためという言い伝えがあるが、実際には装飾品だと言える。匂い袋の中には朱砂や雄黄、香薬が入れられ、外の袋は絹で作られ、よい香りが漂う。様々な色の糸で結ばれた様々な形のものがあり、一繋がりにすると可愛らしい。

■ヨモギや菖蒲をつるす

端午節にはヨモギは菖蒲の葉を飾ることが重要な行事の一つだ。各家庭では庭をきれいに掃除して、菖蒲やヨモギを門に飾ったり、部屋につるしたりする。また菖蒲やヨモギ、ザクロの花、ニンニク、イクソラの花を使って艾人、艾虎と呼ばれる人形や虎を作る。また女性は花冠や首飾りなどを作って身に着け、無病息災を祈る。

■「卵ころがし」

端午節早朝に大人は子どもたちを寝床から追い出し、茹でた鶏卵を子どものお腹の上で転がして笑わせ、子どもに食べさせる。

 

■子どもの腕に五色の糸を飾る

五色の布でトウガラシやトウモロコシなどを形作り、五色の糸で子どもの服のボタン穴に飾る。こうした細かい飾りを作るのは難しいが、長白山風景区や周辺地域の朝鮮族居住地で購入することができる。 

■多彩な紙のひょうたんを飾る

大小様々な色とりどりの紙のひょうたんを糸でつるし、下に房などを付け、柳の枝に飾り、軒端で風に揺れるのを楽しむのは端午節の美しい風景だ。

 

■「破火眼」

南京の端午節は、それぞれの家で、清水を入れた箱の中に、微量の雄黄と古代の硬貨「鵝眼銭」2枚を入れ、一家全員がこの水で目を洗う、「破火眼」と呼ばれる風習が残っている。これによって、1年間眼病にならずにすむと言われている。

日本と韓国でも端午の節句を祝う


 中華文化の影響を受け、日本と韓国でもそれぞれの端午節の活動が行われる。

日本 端午節は男の子の節句

 日本の端午節は平安時代以降に中国から伝来したもののようだ。日本人の端午節の祝い方は、災いを避けるために粽や柏餅を食べ、菖蒲酒を飲む。日本語で「菖蒲」と「尚武」は同じ発音なので、端午節は徐々に男の子の節句へと変わっていった。男の子の健やかで逞しい成長を祈るために、家の門口に鯉幟を立て、鎧や兜、五月人形などを飾り、子供の成功を願う。


韓国 特色豊かな江陵端午祭

 韓国の端午節の内容は多彩で、一般に20日以上続く。端午祭では韓国の地方の特色を備えた仮面舞踏や相撲、ブランコ、テコンドーの試合、大学のサッカー競技などが行われる。「江陵端午祭」は韓国江陵市の市民が豊作と健康を祈って行う大規模な民俗活動で、韓国の端午祭の典型的な代表だ。韓国の学者によると、江陵端午祭の由来は1千年以上遡ることができるという。韓国は2004年に国連ユネスコに端午節を韓国の文化遺産として登録申請する準備を行っていると明らかにして注目を集めていた。

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