54《你好!翻译,再见!乐园》
孟子曰:“独乐乐不如与人乐乐,与少乐乐不如与众乐乐。”此王公大人之乐,非贫贱者所及也。孔子曰:“饭蔬食饮水,曲肱而枕之,乐在其中矣。”颜子“一箪食,一瓢饮”,“不改其乐”;此圣贤之乐,非愚者所及也。若夫“鹪鹩巢林,不过一枝;偃鼠饮河,不过满腹”,各尽其分而安之。此乃迂叟之所乐也。
孟子さんは『自分ひとりで楽しむのは、他の人と共に楽しむのに及ばない、少人数で楽しむのは、大人数で楽しむのに及ばない』とおっしゃったそうですが、これは王公貴族の楽しみ方であって、貧しく位の低い者には手の届かない楽しみです。孔子さんもまた、『粗末な食事に水を飲み、肘を曲げて枕とするような生活でも、その中に楽しみがある』とおっしゃいましたし、顔回さんは一椀の飯一椀の汁だけで、その楽しみを変えようとしませんでした。しかし、これは聖人君子の方々の楽しみであって、凡人の私にはとても真似のできない楽しみです。ミソサザイは1本の枝で巣を作る。もぐらは水を飲んでも、満腹以上は飲めない。人はそれぞれ自分の分に応じて満足すればいいのではないでしょうか。これは私が求めている楽しみなのです。
熙宁四年迂叟始家洛阳,六年,买田二十亩于尊贤坊北关,以为园。其中为堂,聚书出五千卷,命之曰读书堂。(中略) 迂叟平日多处堂中读书,上师圣人,下友群贤,窥仁义之源,探礼乐之绪,自未始有形之前,暨四达无穷之外,事物之理,举集目前。所病者,学之未至,夫又何求于人,何待于外哉!志倦体疲,则投竿取鱼,执纴采药,决渠灌花,操斧伐竹,濯热盥手,临高纵目,逍遥相羊,惟意所适。明月时至,清风自来,行无所牵,止无所框,耳目肺肠,悉为己有。踽踽焉,洋洋焉,不知天壤之间复有何乐可以代此也。因合而命之曰独乐园。
煕寧四年、私は洛陽に移住しました。六年、尊賢坊北関に菜園として二十畝ほどの土地を買い、その真ん中の広間に五千巻の書を収蔵し読書堂と名付けました。
私は一日のうちの大半は、読書堂で読書をして過ごしています。そして、上は昔の聖人を師とし、下は多くの賢人を友とし、仁義の源流を遡り、礼楽の始まりを探ります。無形のものから無窮の外に至るまで、事物の理を明らかにします。学びの進展があるかどうかが肝心であり、恃むのは己だけです。集中力が切れ、疲れたら、釣りをしたり糸を紡いだり、時には薬草摘みをしたりします。また、水路を掘って灌漑したり、斧を振って竹を伐採したりすることもあれば、湯浴み、山登り、辺りを散策することもあります。畢竟、自分の気の向くまま行動しているだけです。月は時間どおりに昇り、風は自然に吹いてくる。ここにはなんら障害も拘束もなく、耳目や肺腑はおのれ次第。独り静かに生きていると、これ以上の楽しみが他にあるだろうかと思います。そこで、ここを『独楽園』と命名したのです。
或咎迂叟曰:“吾闻君子所乐必与人共之,今吾子独取足于己不及人,其可乎?”迂叟谢曰:“叟愚,何得比君子?自乐恐不足,安能及人?况叟之所乐者薄陋鄙野,皆世之所弃也,虽推以与人,人且不取,岂得强之乎?必也有人肯同此乐,则再拜而献之矣,安敢专之哉!
たまにこう言って私を責める人がいます。“君子の喜びは必ず他人と共有されると聞きましたが、あなたは自分一人で満足しているだけでいいのでしょうか?”と。
私は申し訳なく感じつつも、こうお答えします。“私のような者と君子のようなお方とをお比べになるのはご勘弁ください。私など己一人楽しませることさえ覚束ないのに、どうして他の方まで楽しませられるでしょう。まして、私の楽しみといえばどれも低俗で、世の中の人が捨てたものばかりなのです。そんなものを、他の方に無理強いしても良いものでしょうか?もちろん、共に楽しみたい人がいれば、私は独り占めなどせず、喜んで差し出しましょう…“と。
《翻訳後記》
僕はかつて一度だけ、短編小説を書いたことがある。それは、俳句と短文を織り交ぜた古風な小品であった。そして、僕はその小説を書き上げた後、タイトルを探し求めた挙句『独楽園記』とした。偶然そのタイトルを見て、一目惚れしたのである。調べてみると、司馬光という文人の随筆だった。内容は『独楽園記』という題名通り、独りで日々を楽しむものであり、僕の書いた世界観ととても似ていたのだ。
僕の趣味趣向もまた“人が捨てたもの、古臭いもの、無用のもの”と言えるかもしれない。
そう考えると、この翻訳もまた僕にとっての『独楽園記』なのかもしれない。
翻译:dd
校对:大井家的饭