我住回访 | 为了学生选择不结婚的日语外教
刚刚过完母亲节,大家有对自己的妈妈表示一下?
除了母亲,还有一类人也陪伴我们一路成长,那就是教师。
今天我住回访的主人公就是来中国多年的日语外教——川端敦志。
目前中国很多大学中都有日语外教老师,但是川端老师的故事绝对是很特殊的。
说特殊是因为这位来中国已经有十五年的老师,总会有一些“特别”的想法。
为了学生,川端老师选择与工作结婚,每周坚持三天不吃午饭给学生补课。
为了上课时更有精神,肉食爱好者的他坚持吃起了素。
明明是日语外教,却自愿做着排球队的教练。
坚持两点起床为上课做准备,鼓励学生尝试更多值得做的事情。
当我们问及他住在这里的理由,川端老师很认真地回答:无论对于我来说,还是对于学生来说,我必须呆在这里。
但是这位可爱的老师后面竟然又补充了一句,因为想尝尝中国真正的麻婆豆腐。
不得不说日本人对中国美食麻婆豆腐真的是很喜欢了。
下面就让我们一起来听一下川端老师的回访问答吧~
译文如下:
自我介绍
みなさんはじめまして 江西省の贛南師範大学日本語学部で日本語を教えている川端敦志と申します。番組をご覧いただきありがとうございます。私が中国に来たのは、漢字が好き、とか麻婆豆腐が好き、とかいろいろな理由があるんですけど、もう一つの大きな理由は教育者としての孔子にあこがれていたというのがあります。人間にとってどんな教育が必要なのか。どんなん教育を受けたら人間の人生がどういう風に変わるのか。そういうことを私は追求したいと思っております。よろしくお願いします。
大家好,我叫川端敦志,在江西省赣南师范大学日语系做外教。谢谢大家收看《我住在这里的理由》。我来中国的理由有很多,因为喜欢汉字、喜欢吃麻婆豆腐等等。最大的理由是我向往作为教育者的孔夫子。人到底需要什么样的教育?受怎样的教育就人生将变如何。我在想追求这种问问题。请多多指教。
问题1
長い間中国で日本語を教えていらっしゃる川端先生は、きっと先生に理解を示さない先生や生徒に出会ったことがあると思います。そのような自分とは考え方が異なる人たちを、先生はどのように思っていますか?
川端老师,这么多年在中国教日语想必会遇到很多不理解您的学生或者其他中国老师,请问您是如何看待这些不同的意见或者态度的呢?
みんながみんな私と同じような考え方、私と同じ方法論、私と同じ目的で人生を過ごしている、あるいは仕事をしているわけではありません。 そういうときは確かに困ります。どうしたらいいかな、ということで夜眠れないこともあります。そういう時は、色んな本を読んだり、あるいはどこかで妥協できないか、目的は同じなのか、お互いに協力できる点がないか、探そうとします。
最近思うのは、違うということは間違いではない。みんな考え方が違うから、一緒にいる意味がある。例えば、アメリカのゼネラルモーターズのあるリーダーは、みんなが賛成するアイディアにはストップをかけ、一か月置いていたという。1か月するとたくさん改善点が見つかる。そういうものだそうだ。ビジネスでもそう。教育に関してはもっと違いがあると思う。学生たちの人生は私の人生と違う。日本でも教師と学生がぶつかる、それが当たりまえ。
PFドラッガーが言っていた。学生たちは馬鹿ではない。目的・方法論・理想は違っても、この先生は良く勉強している、この先生からはなにかを学ぶことができる、そういうことはちゃんとわかる。と言っている。
みんながみんな私と同じ目的で、というのは不可能だし、現実的でもない。しかし、私がどういう気持ちで、どういう態度で仕事をしているかは学生は分かってくれる。そう思っている。
大家并不是都拥有和我同样的想法,也不是向着同样的目的过人生、工作,对这样情况确实我确实感到为难。
有时候我想着该怎么办睡不着,那样的时候我看看书,或者找一找我和对方彼此妥协能的地方。
我最近觉得“不一样”这个事情并不是不好的事,大家的想法都不一样才有在一起的意义。
比如;美国的一个公司GM的某一个领导,他不会立马采取所有人支持的点子,等一个月再看那个点子有没有改善点。据说,等了一个月就会发现很多改善点。连商务也是这样,何况教在教育方面更加会有想法的差异。学生的人生和我的人生是不同的,在日本也老师和学生之间往往发生矛盾。这是理所应当的。
Peter Drucker说道:学生并不笨。无论每个老师的教学法、方法、理想不同,学生们也能感觉到这位老师很努力,也会知道从这位老师学到了什么。
当然不可能大家都拥有和我一样的目的,这样也不太现实。但是,我相信学生能理解我有怎么样的心态来教书。
问题2
中国で日本語を教えてきた中で、一番達成感を感じたのはいつでしたか?
请问,您当老师这么多年最大的成就感是什么?
まだ本当の達成感は味わっていない。私がやりたいと思っている仕事はまだ本当の意味では実現していない。おそらく一生実現することはないと思う。本当に大きな目標があるひとは未完成のまま人生が終わる、と聞いたことがある。本当にその通りだとおもう。
小さい達成感で言えば、内向的で先生からもクラスメイトからも相手にされなかった学生が、スピーチコンテストなどで自分の目標に向かってチャレンジし始め、真剣な顔になり、そして最後までやり通して変わり始めた。その姿を見たとき。厳しい話になるが、元々優秀な学生が能力の半分で良い結果を取ってもその顔は魅力的ではない。でも、自分の能力を最大限使ってやり切った顏は魅力的。そういう顏が見れたとき、達成感を感じる。
私自身のことで言えば、学生が私の話を聞いてくれた時ではなく、学生の話をちゃんと聞く事ができたと感じたとき、コミュニケーションが取れたと感じるとき、達成感を感じる。私の人気が上がったとかそういうことではなく、学生が自分の気持ちを表現でき、自分もそれを受け取ることができたとき。
勉強に関していえば、学生たちが教科書以上のものを追求しようとしたとき、私が抱いた問題以上のものを追求しようとしたとき。学生が変わったとき、教師になってよかったと感じる。
本当の達成感は、中国で日本語教師として最後の授業を終えたとき、実感するかもしれない。
我还没感觉到真正的成就感,我想实现的工作还没真正的完成,恐怕我一辈子实现不到。我听说过,怀有巨大的梦想的人向着梦想前进的途中就结束了人生。我深刻地觉得这番话就是真的有道理。
说到小小的成就感,我能见到学生成长的样子就感到有成就感。曾经有一个原来很内向的学生、他是被老师同学都抛弃的学生。
他开始挑战演讲比赛这种活动,向自己的目标努力到最后,那段时间他渐渐变成了很积极的人。
虽然我说的是有点残酷的话,但我还是觉得本来很优秀的人用自己一半的力量来获取很好的结果,但那个人是不具有魅力。
学生发挥自己所有的力量来争取结果的话,那个人的样子很有吸引力。
说到我本人的事情,不是学生听我的话,而是我能好好倾听学生的话的时候、能和学生好好交流的时候才感到成就感。
这件事也不是意味着我受学生的欢迎,而是学生能表达自己的心情,我也理解对方的心情。
说到学习方面,学生开始积极追求课本内容以外的内容的时候、也追求我给他们的课题以外的内容的时候,我才觉得我做老师真好。
可能在中国上的最后一节日语课的那一刻才感觉到真正的成就感。
问题3
中国に来てから色んな場所に住んだことがあると伺いました。色んな土地でたくさんの人と知り合えると思いますが、その中で孤独を感じることはありますか?
川端老师来中国这么多年去过很多地方,虽然可以认识不同的人和事,但请问会感觉孤单么?
毎日感じている。性格が原因かもしれないが、特に仕事をしているときは、職場で親友・友達を作らないようにしている。それは学生に対しても同じ。理由は、仕事上でなにか問題がおきたとき、学生に厳しい要求をしなければならないとき、友達だったらできない。友達からアドバイスを受けると、余計なお世話と感じる人が多いと思う。あくまでも仕事のために中国に来ている。だから、周りの人と一定以上の距離は保っておきたい。そのために、あえて孤独を作るようにしている。
でも、その孤独が私自身の言動や内面を振り返る良い時間になっていると思う。歴史上の人物、釈迦・キリスト・ソクラテス・孔子、世界の4人の聖人でさえも弟子に裏切られている。だから、私のような人間が何かをして、嫌われたり、孤独になるのはあたりまえだと思う。まして、外国で仕事をしているからなおさら。毎日がハッピーとはいかないと思う。でも、そのこと自体が私自身にとって、結局はいいこと。何かを教えてくれる、学ぶチャンスだと思う。
日本と中国が政治上でぶつかっているとき、やはり自分は日本人で、孤独だなと感じる。でもそれは、私自身にとって、外国で働くこと、日本が歴史のなかでしてきたこと、日本が日本の中だけで存在しているわけじゃないことを考えたり、勉強したりするいいチャンス。私は孤独をそう考えています。
我每天都会感到孤独。
可能原因在于我的性格,我决定在工作的地方尽量不交朋友,学生也不是例外。是因为,假如在工作上有什么问题、需要给学生严格的要求的时候,对方是朋友的话有点难说出来。
我认为很多人对朋友给自己的建议觉得很烦。我来中国的不是为了交朋友而是工作。所以我要和周围的人保持一定的距离。因此我故意造成一个孤独的环境。
不过我觉得这个孤独才让我反思自己。历史上的圣人;释迦、耶稣、苏格拉底、孔子,连这四个人也被弟子背叛。所以我这样的人被人嫌弃、觉得很孤独的是理所当然的。
而且我这样在国外工作的人更加会碰到这种情况,不可能天天过的开开心心。但是,对我来说这样的情况是好的。给我机会学新的东西。
中日政治上发生问题的时候,我再认识我自己的身份,还是感到孤独。可是,这样时候我能思考我在国外工作的意义、历史上日本做过的事情,也能想到日本并不是在日本人的群体里才存在。我觉得“孤独”给了我一个再学习的机会。
提问4
学校でいつも元気で前向きな先生の姿をお見かけします。先生のその元気の源はなんですか?
川端老师,经常在学校见到您,您都是那么的精气神十足,请问是什么因素能促成您养成了一种积极的心态呢?
いつも毎日元気というわけではない。例えば、学生がまじめに宿題をやってこなかった場合、おざなりだったとき、こんなこと毎日やっていても意味ないのになあ、とがっかりする。でも、例えば、山はいつもどっしりしている。天気がどのように変わっても、どんな状況でもどっしりしている。だから、周りで何が起こっても、それで私の心を乱れるかは私自身の問題。周りで何が起こるかは私の問題ではない。そのことによって私がどう動くのかが私の問題。学生がどのようなことをしても、しなくても、言っても、言わなくても、私の心が動揺するかどうか、人生や仕事、学生自身に対してどんな気持ちになるのかは自分自身の問題。そこは区別しようと思っている。
体の健康についていえば、食事、水、睡眠、運動をコントロールしようとしている。体の健康と心の健康は繋がっている、のではなく、そもそも一つのもの。というのが最新の医学の見解。体の健康を考えない人は、心も健康ではないとおもう。逆もしかり。心が健康でない人はいつか病気になると思う。
頭の健康で言えば、私は知らないことがたくさんある。知らないこと、やったことないこと、食べたことないもの、見たことないもの。世の中には知らないものがたくさんあります。学生もそう。昨日の学生と明日教室であう学生は同じかわからない。知らないことに毎日出会うことができる、そんな毎日を楽しみたい。楽しいことは自分で探せばいっぱいある。そう過ごしているから、元気に過ごしているように見えるのだと思う。
元気であろうとは考えない。頭と心と体。それから、周りの者や人に対する態度を落ち着いたものにしようと考える。具体的な方法で言えば、10分から20分ほど座禅をしている。なにもしないで静かに座り、自分で自分の様子を静かに観察するようにしている。これは宗教とは関係ない。元気というのは、落ち着いた心と頭と体があれば自然に出てくる。私はそう思います。
以上です。ありがとうございました。
我并不是每天都精神十足。
比如学生作业写的不认真、不用心的时候,我觉得“天天这样过去也没有用啊”,就很难受。用一个比喻来说一说,有一座山,无论天气怎么不好、无论条件不好、山也是稳重的。
按照这个比喻我学到的是,在我的周围发生什么事情,由那件事会不会扰乱我的心神是属于我自己的问题。学生有没有说什么、学生有没有做什么,都和我的心灵没有直接的关系。
我的心会不会动摇、对人生和工作、学生本身抱有怎么样的心情,这些都是我自己的问题。我想尽量分开想自己的问题和别的问题。
对身体的健康来说,我很讲究吃饭、喝水、睡觉、运动这四个的平衡。根据最新的医学而说精神健康和身体健康不是连在一起的,而是这两个原来是同一个东西。不在乎身体健康的人将发生精神健康的问题。相反也如此。精神不健康的人有一天身体也不健康了。
对头脑的健康来说,我还有很多不知道的东西。不知道的事情,没做过的事情,没吃过的食物,没看过的东西。世界上还有很多我没有接触过的东西。学生也是,昨天的学生和明天的学生并不是一样。
我想享受每天能遇到不认识的人的日子,自己去找就能找到很多让自己开心的事情,我这样过日子,可能有人看我觉得我很精神的样子。
其实我没有想过要保持很精神的状态。我想好好调整头脑和心灵、身体,把对别人的态度平静下来。
就具体的方法而已,10到20分钟打个坐。什么都不做安静地坐下来,让自己静静地观察自己的样子。这个和宗教没有关系。我想有很平静的心灵、头脑、身体,人自然而然地变精神了。
谢谢。