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【边疆时空】荐书 | 中国文化論

李绍楠 边疆时空 2019-12-18

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《中国文化論》是中国著名学者李德顺先生《人的家园——新文化论》一书的日文版译本。中文版《人的家园——新文化论》一书由黑龙江教育出版社2013年出版,后由日本株式会社かもがわ出版社引入版权并于2017年在日本出版。2018年9月,日文版入选“图书版权输出奖励计划”第三期奖励书目,该奖项由原国家新闻出版广电总局2015年起组织实施,是对输出图书价值和效果的肯定。


内容简介

“文化”是一个在内涵和外延方面都非常难以约定其界限的概念,而它的应用范围却非常广泛而灵活。不同学科之间对于文化往往并无一定的规范化共识,人们基于来自西方或东方的不同知识背景,在谈论文化时究竟说什么和怎样说,常常取决于谈论者自己的愿望和想象,取决于他们想要说什么。

正是针对这种情况,本书应邀从哲学的角度,力求对文化的本质及其一般形态做出一个较适合于中国传统思维方式的表述,并尝试面对历史和现实,将其应用于中国传统文化的反思批判和中华文化现代化的开拓探索。

在本书作者看来,文化的本质在于“人化”,包括对人本身的人化即“化人”。因此,我们对文化的分析论述,较侧重于对人的生活方式和思想方法的把握,并最终将文化与人自己生存发展的权利与责任联系在一起。而我们关于中华文化的反思和瞻望,也是沿着(在文化上)“我们有什么”“我们缺什么”“我们要什么”和“我们怎样做”的思路展开的。这一思路对于超越纯粹的概念之争显然能起到一定作用,但它所涉及的理论概念和研究方法,也因此显得更加广泛,其中值得讨论和争议的问题也更多、更尖锐。

这一套“中国式”的文化理论,能否在国际性的学术对话中得到关注,从而成为一个对话平台,使不同语境下的人文思考能够增加相互理解和相互促进,显然有待于架设更多的文化交流的桥梁。这也正是将本书推介给国外读者的初衷。

目录


『中華文化論』日本語目次


上篇 文化概論

第一章 文化とはすなわち人化である

一、文化と非文化(自然)

二、「人化」から「化人」へ

三、双方向で生成する人生の旅

四、文化解読の「テキスト」

第二章 文化の基本形態

一、物質文化――器物と経済

二、精神文化――知・情・意

三、制度文化――権利の構造と規則

第三章 文化様式の「多」と「一」

一、主体――文化多様化の根拠

二、多様性が統一した民族文化

三、メインカルチャーとサブカルチャー

四、世界文化の多元的枠組

五、「文化同調」の神話と現実

第四章 文化品質の「優」と「劣」

一、「雅俗の争」の困惑

二、新たなる位置づけ――文化の生産と消費

三、知識分子と精神文化

四、文化オアシスと文化砂漠

第五章 文化命運の「興」と「衰」

一、文化の空間・時間と生命力

二、文化の進化と退化

三、伝統――民族文化の生命形態

四、文化命運の尺度

 

中篇 中華文化論

第六章 中国伝統文化の価値傾向

一、「人」の位置づけ

二、義利と名実

三、人情・道理と法律・制度

第七章 中国伝統文化の多重品格

一、道と器――生活境界の追求

二、体と用――文化的基礎の探求

三、知と行――思惟方式の方向付け

四、陰陽剛柔――文化的気質の得失

第八章 中国伝統文化の総体的批判

一、中国伝統文化の姿と傾向

二、伝統文化精神の歴史的再考

三、伝統文化に向かい合う幾種かの態度

 

下篇 文化建設論

第九章 文化のモデルチェンジ――挑戦と活路

一、中国近代化の思想歴程

二、文化発展の三つの大きな方向付けに関する争い

三、市場化の衝撃下での難局

第十章 富強――物質文化の近代化

一、中国化の市場経済モデル

二、ハイテクノロジー時代の文明

三、文化産業の興起およびその意義

第十一章 民主――制度文化の近代化

一、人権――人権――人間本意の核心

二、民主――制度文明の実質

三、法治――人民民主に必要なもの

第十二章 文明――精神文化の近代化

一、価値観念の変革と再建

二、科学と教育――人の価値のために

三、道徳――感情から理性へ

おわりに――新世紀に向かう中華文化 

部分章节内容节选

 

中篇 中華文化論

第六章 中国伝統文化の価値傾向


中華文明は世界「四大文明揺籃」の中で、落ちずに残ったただ一つの大きな果実が歴史の継続性を保持した偉大な文明である。悠久の文明進化の過程の中で、「自強して息まず」「徳を厚くしものを載す」「海は百川を納む」「実を求めて変に順う」といった精神で、内包が充分に豊富で、構造が異常に複雑で、形式が多種多様な文化伝統を創造した。この伝統が中国人民を長期にわたって滋養して育成して形づくっており、中華民族の血液と霊魂に内在化する。

一、「人」の位置づけ

すべての文化は必ず主体自身の地位・状況・権力や使命などの問題を主要な位置に置き、同時に一切の思考と選択の出発点となる。そのため、中国伝統文化の特徴を考察するときは、それによって「人」の地位と状況に関していかに処理をしても、それが世界と人生をいかに取り扱うと主張しても、それが人々に自己などの問題をいかに取り扱い把握しても構わず、そこが切り口となる。

1.神・天・人――「天を敬い命を畏る」?

人はこれまで自立自主的なものであったろうか。人の地位と命運はある種人の上にあり、社会以外の、ひいては自然界を超越した真正な力に服従しているのであろうか。これはみな文化がつねにぶつかりうる問題である。この問題は、広大な宇宙の中で、人は自己の根本的な地位と帰結を見つけ出さねばならず、そうしてこそ初めて精神上において安心立命の基礎をもつことができる。

ひょっとすると神秘的ではかりきれない大自然に対する危惧から出たのかもしれないし、さまざまな外力の面前にあったからかもしれないが、早期の人類には自己の命運を把握する術がなく、先人たちは期せずして同時に自然物の中に隠れていたり、大自然の背後に隠れていたりする「神」を探し出した。中国は奴隷時代から、神権によって王権を論証する「君権神授」説がある。夏代には既に神に対する崇拝が出現しており、夏の禹自身が鬼神の祭祀をその権威を確立する手段としており、禹の息子・啓もならわしに従って実行し、自己の権力を神から授かったものだと説き、ここから中国の君権世襲制が始まった。殷代の統治者はさらに鬼神を崇拝することに最大の力を尽くした。「殷人は神を尊び、民を率いて以て神に事える。」(『尚書』甘誓)作柄の善し悪し、城邑の建設、戦争の勝敗、官吏の任免異動など、すべて占卜を通じて神に伺いを立てあるいは神に祈祷をあげなければならなかった。殷商の統治者はさらに神々の長――上帝を設定・創立し、その彼らの祖先を上帝の子孫と称した。すなわちいわゆる「天命の玄鳥、降りて商を生ず」(『詩経』玄鳥)である。周代になって、「神」はさらに抽象的な「天」へと転化し始めた。それぞれの神仙および上帝はみなすでに殷商などに真っ先に「占領」されていたため、周の統治者はその「謀反」を直接すすめるのは具合が悪かったため、転換して「天命」と広く説明したのである。「皇天は無親にして、惟だ徳をして是れ輔く。」(『左伝』僖公五年)殷商の湯王に徳があったときは、そのために「天命が殷に帰した」のであって、のちに殷の紂王に徳が無くなり、「そのため既にその命は墜ち」、「天命」はこうして周に帰したのである。

「天」によって「神」に取って代わらせたのは、中国文化史上において重大な意義をもつ。最も影響力を持った思想家・孔子は「徳を以て天を配す」という天命観を相当に評価していた。孔子は鬼神を語ったことが極めて少ない。彼は彼特有の智慧で、「鬼神を敬いて之を遠ざけなければならない」と指摘し、まず人自身の問題を明らかにすることを主張した。「未だ能く人に事えず、焉んぞ能く鬼に事えんか。」(『論語』先進篇)この思想は当時において素晴らしいものであった。しかし、孔子も「人は万物の尺度である」ことをまだ直接肯定せず、彼は主に周朝の理論と方法を継承し、「天命」を大いに語り、人々に「天を敬い命を畏れ」、「天」の意志と処置に服従するよう求めた。彼はやはり、人々にこうした神聖な畏敬観を保持させさえすれば、社会は安寧を得ることができると考えた。孟子はさらに直接「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」(『孟子』離婁章句上)と説き、天命や天意には背いてはならないことを強調した。

後世の思想家たちはおおよそのところ孔子のこの思想に従っており、一切の考慮は「天」によって「人」に及ぼさねばならないと主張した。「天人感応」「天人合一」「天人合徳」など神秘主義的色彩の形而上学理論をもち、大同小異である。例えば『淮南子』には「四時は天の吏なり、日月は天の使なり、星辰は天の期なり、虹霓彗星は天の忌なり」とある。漢代の董仲舒の天人感応説では「人は天数に副う」、つまり「人理の天道に副うや、天に寒有り暑有り、夫れ喜怒哀楽の発は清暖寒暑とその実一貫なり。喜気は暖と為りて春に当たり、怒気は清と為りて秋に当たり、楽気は太陽と為りて夏に当たり、哀気は太陰と為りて冬に当たる、四気は、天の人と同じく有する所なり」と考える。董仲舒の重点は天理の封建的三綱五常との一致性を強調することであり、天は人の原本であって、人は天の副本であると考え、これによって「王道の三綱、之を天に求めるべし」(『春秋繁露』基義)ということを論証しているのである。

しかし、ある文化の思想内容が、その言説と字面の意味を見るだけですませてはならず、場合によってはそれを真に理解するために、ひっくり返してその「背面」や「反面」を見てみる必要がある。このように詳しく見ると、我々は、時として、統治者あるいは思想家たちの真実の思考の筋道がしばしば相反していることを発見することができる。実際、天人関係に関して、我々は「天」によって人の何かを類推するのは難しく、逆に「人」でもって「天」を類推し、個人から天下に押し広げるのは、比較的容易である。古代の思想家たちが行ったのは、まさに人の行為感情を外へ押し広げて各種の自然現象を解釈することであり、家庭や家族を社会へと押し広げて国家の構造を解釈することであった。したがって君臣はまた「父子」のようなものであり、「四海のうちはみな兄弟である」。「国家」とは、家がすなわち国で、国がすなわち家である(もちろん皇帝について言う)。そこで、「孝長」と「忠君」は一理であり、天意に必ず違わぬものである。……

邪を信じない人もおり、この仰天の大秘密をあっさりと暴き、大胆にも「天は自ら民の視るところを視、天は自ら民の聴くところを聴く」、「民の欲する所、天必ず之に従う」(『尚書』泰誓中)と言い出した。これは、「天」が人の目や耳で感じているのであり、「天」は人の願いに従うのであり、「天」は決して神秘的なものではない――結局、「天」は人の代理で化身である、と言っているのと同じなのである。こうした態度は従来の思想的反逆者がもっているものであって、人々が皇権を蔑視し、既定の秩序を破壊し、自由を勝ち取るための武器となった。数多くの社会の低層にいる一般庶民の実際の生活の中において、こうした類の観念の影響はしばしば御用学者の説教より大きかった。

以上より分かるのは、古来、中国には二つの異なる「天人合一」観があるということである。一つは「人が天に合う」、つまり天が主宰であって、もう一つは「天が人に合う」、つまり人が主宰である。二者間で、人々はその必要によって、それぞれ取るところがあるのである。

例えば、神秘主義、宗教的迷信、個人崇拝などを統治の術として、神の意思によって統治者を美化するのは、長期間にわたる封建社会における階級制の理論的基礎であり、封建統治者の愚民政策に広く使われた方法である。今日に至るまでずっと、下心があって神懸かりになったふりをし、自身は某仏の転生であるとか、某神が取り憑いているとか公言して、庶民を騙してばかにする人が常にいる。さらには、大いに個人崇拝を行い、某人は生来「天才」であると公言して、ある種の重大な使命を背負う人々もいる。……形式上は多少新奇の部分があろうとも、やっていることは「古くさい芝居」に過ぎない。

もちろん、社会の発展や人々の知識の開放に従って、さらに多くの人が「敬天畏命」から、一時的な安逸にしたがう中で抜け出てきた。彼らは、「天」と「命」の本質がその実自然と社会の運行法則・規律・秩序に過ぎないことを、はっきりと悟った。それらを把握することは人自身が担うべき権力と義務である。そのため、人々の主体意識は徐々に覚醒し、自覚的に科学的世界観や人生観、価値観で自己を武装し始め、自己の目で世界を見、自己の頭脳で問題を思考するよう努力し、徐々に自己の新生活を創造する主人となる。こうした再考と覚醒が、中華文化の現代の主流である。


作者简介:

李德顺,1945年生,中国人民大学哲学博士。现为中国政法大学终身教授、博士生导师、人文学院名誉院长,中国辩证唯物主义研究会副会长,中国价值学研究会会长。主要研究领域为马克思主义哲学基本原理改革和发展、价值论、当代文化等。曾任中国社会科学院哲学研究所副所长、中国社会科学院文化研究中心主任。主要著作有《价值论》《邓小平人民主体价值观思想研究》《与改革同行——中国特色社会主义的哲学理路之思》等;主编“人生价值丛书”“实践价值丛书”等。


   责编:齐云彦


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