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《陳世峰の死刑を求める署名活動》

2017-09-07 江歌妈妈

陳世峰の死刑を求める署名活動

(2017年8月22日 記)

2017年9月7日 江歌の母より

     私は2016年11月3日東京都中野区で殺害された山東省青島出身の女子留学生江歌の母・江秋蓮と申します。私の携帯番号と微信(WeChat)アカウントは同じ番号で139-6961-3663です。

    この293日間江歌が殺害された事件に関心をもっていただき、誠にありがとうございます。また、多くの方々からご援助、ご支援をいただき、ありがとうございます!本来なら皆様一人一人に直接お礼を申し上げるべきですが、略儀ながら、まずはこの場で感の意を表したいと思います。皆様、誠にありがとうございました!

     陳世峰が江歌を殺害した事件の裁判が2017年12月、日本の東京で開廷されます。

  日本の法律では、一人殺害しただけでは死刑判決になるのはまれなことですが、先例が全くないわけでもありません。被害者・江歌の母として、なんの罪もない娘が惨たらしく殺害されたことに対する正当な判決を望んでおります。

    これから私のすべてをかけて陳世峰の死刑を求めていきます。そのために、陳世峰の死刑を求めるための署名活動を始めます。皆様にもご支援いただけるよう、何卒よろしくお願いいたします!

     正義がまかり通り善良な人が安全に暮らせる世の中を望むのであれば、江歌が若い命を失ったことを悲しく感じていただけるのであれば、この惨たらしい事件にやるせない思いを感じるのであれば、一人娘を失い孤独で頼れる者のいない母親を救いの手をさしのべたいと思っていただけるのであれば、陳世峰の残酷な行為に対して怒りを感じるのであれば、皆さま、ぜひ陳世峰の死刑を求める嘆願書への署名をお願いいたします。皆さまのご支援が、自分勝手な人間が他人の命を奪うという犯罪行為に対する最も強い非難にもなると思います。

    この文章がなるべく多くの人に見ていただけるように、ぜひ積極的に転送していただけるようお願いいたします。そして、なるべく多くの方から署名をいただければと思っております。ご協力のほど、よろしくお願いいたします!

 署名の方法としては、以下の3つの形式を準備しております:     

1、インターネット

このリンクを開いて、直接インターネット上で署名してください。(このページは既に実名認証   されましたので、ご安心ください。また公式アカウントはTencentのリンクしか使えないため、   URLをコピーして、ブラウザーに直接貼り付けてください)

http://1.koukasan.applinzi.com/homePage.php

この中でご説明している通りに、ご自分のお名前をご署名ください。

2、郵送

このリンクを開いてください。

(このページは既に実名認証されましたので、ご安心ください。また公式アカウントは     Tencentのリン 25 40345 25 10218 0 0 3544 0 0:00:11 0:00:02 0:00:09 3544しか使えないため、URLをコピーして、ブラウザーに直接貼り付けてください)

http://1.koukasan.applinzi.com/test.php

嘆願書をダウンロードして、ご自分と家族や友達の名前を記入して下記の住所へ郵送してください。


 
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なお、嘆願書をダウンロードして印刷すると、以下のようになります。

[印刷された嘆願書のイメージ]


 
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3、対面

私自身が11月上旬頃全国へ、皆様の署名をお願いに参ります。

    また、この署名活動をお手伝いいただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡いただければと思います。ご協力ありがとうございます!

注意事項:

(1) ご協力いただける方は上記1~3のうち、一つだけを選んでください。同じ方が2回以上署名されないようご注意ください。

(2) この署名活動にはご本人の手書きの署名が必要になります。 ご家族やご友人にも署名して いただける場合、代筆ではなく、ご本人にお名前をと書いていただけますよう、よろしくお願いします。

(3) 電話番号は必ず有効な番号をご記入ください

    いただいた署名は、陳世峰の死刑求刑の目的にのみ使用し、それ以外の用途には決して使用いたしません。また、個人情報を漏洩させることのないようにしっかり管理いたします。この2点をお約束いたします。万が一違反した場合には、法律に則って責任を取らせていただきます!

    無残に殺害された愛娘・江歌に天国で喜んでもらえるような判決を勝ち取るため、私自身は思い出すだけで心が切り裂かれるのではありますが、今回の事件について説明いたします:

    まだ開廷されていないため、事件現場の血まみれの写真や、江歌の傷口の写真などはお見せできませんが、後日、事件の詳細は公表いたします。ご理解のほど、よろしくお願いします!

被害者:江歌

    中国山東省青島市出身。中国の大学を卒業した後、2015年4月7日から、日本国内の日本語学校での留学生活を開始しました。2015年10月、成蹊大学院に合格し、2016年2月、法政大大学院に合格しました。2016年4月に法政大大学院に入学して、大学院一年生になりました。24歳の若さで命を失いました!

殺人犯:陳世峰

    中国寧夏生まれ。当時、大東文化大学院の一年生。

被害者の友人、殺人犯の恋人:劉鑫

    中国山東省青島市出身。当時、大東文化大学院の一年生。

    江歌の日本語学校の友人であり、殺人犯:陳世峰とはクラスメートであり、同居している恋人関係でした。

  2016年8月末,別れ話から劉鑫が陳世峰の部屋を出ることになり、バイト先の女主人の家に何日か泊まった後、9月から江歌のアパートに居候していました。11月2日午後、陳世峰が江歌のアパートに押し掛けました。そのため、劉鑫は、「今晩は一人で帰るのは怖いので、JR中野駅で待ち合わせして一緒に帰宅してほしい。」と江歌にお願いしていました。その晩、江歌は駅で2時間ほど待って、劉鑫に会ってから、11月3日深夜00:15に二人は自宅に到着しました。自宅前には陳世峰が待ち伏せしていました。劉鑫は先に一人で部屋に駆け込み、ドアを閉めてしまいました。そして、江歌は陳世峰に10箇所刺されました。劉鑫は警察が来るまでドアを開けなかったのです。結局、江歌は出血多量で死亡しました!

 
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[朝日新聞の記事]


 
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[テレビ朝日のニュース]


 
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[中国CCTV(中国中央電視台)のニュース]


 
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[殺人犯・陳世峰]


 
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[殺人犯・陳世峰]


 
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[劉鑫]


 
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[劉鑫]

    江歌は1992年3月に生まれましたが、その頃は、既に旧暦2月2日の龍抬頭(注:春の始まりを祝う中国の伝統的な祝日)も過ぎていましたが、山東青島では寒い日々が続いていました。その冷たい天気より冷たかったのが前夫で、彼は生まれた娘を見た瞬間、「ちくしょう、女かよ!なんで男の子じゃないんだ!」と吐き捨てました。(注:中国の一部ではまだ男尊女卑の風習が残っており、女児の誕生に否定的な人も一定数存在しています。)

  妊娠してからは、心の中が希望と幸せでいっぱいでした。そして、10か月待って、ようやく天使のような娘に会えました。しかし、何ということか、前夫(江歌の父)の私と娘への最初の一言が、この罵りの言葉でした。彼は女の子である江歌を毛嫌いし、それどころか、妻子に対して頻繁に暴力をふるっていました。その後、前夫が外に恋人まで作ったので、もはやこれ以上の屈辱には耐えられず、江歌が1歳半の時、前夫と離婚しました。せめて娘が実の父親からも受け入れてもらえるようにと、幼い江歌の写真を前夫へ郵送しましたが、前夫の新しい妻が江歌の鼻の部分を取り去った写真を私宛に郵送してきました。それ以来、江歌は二度と実の父親に会うことはありませんでした。

 
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[小さい頃から、互いに支えあって生きていた母と娘]

     24年間、私は一人で江歌を大事に育て,学校にも行かせました。父親からの愛されなかった江歌を父親の分までかわいがってきました。24年間、全精力を注ぎ込みました!24年間、私の人生のすべては江歌でした!24年間、私の身分は、まずは「江歌の母」、次に「両親の娘」で、最後にようやく私自身でした。片親家庭ですが、江歌に対して普通の親の倍以上の愛情を注ぎ、明るくて、活発で、情熱のある、心の優しい子に育てることができました。私の離婚により、父親からは愛情がもらえなかったものの、江歌はまっすぐに育ちました。江歌はいつも私にこう言いました。「お母さん、自分を責めないでね。父親はいないけど、他の子供よりもたくさんの愛情をもらいました。お母さんがいてくれて、私はとても幸せだよ!」

 
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[江歌は私の幸せの源です!]

    田舎のシングルマザーだったので、正社員の仕事には就けませんでしたが、江歌が健康に成長でき、良い教育を受けられるように、他人より何倍も努力しました。片親家庭、私の苦労を見て育たったことが原因なのかもしれませんが、江歌は小さい頃からとても利口な子でした。成績もいいし、見栄を張らなく、他人と衝突することもありませんでした。学校の友人達がスマートフォンを持っていても、江歌だけは大学三年生まで130元(注:日本円で2,000円程度)の携帯電話を使用していました。年頃の女の子なのに、数十元(注:日本円で数百円~1,500円程度)の服しかもっていませんでした。私が何とかして日本留学直前に900元(注:日本円で14,000円程度)のコートを買ってあげたときも、江歌は、「そんなに高い服を買うのはもったいない、申し訳ない。」と言って、返品しに行こうとしました。娘がようやくそのコートを着てくれるまで、私は何度も何度も説得しなければなりませんでした。休みの日には祖母に美味しいお土産を買って帰ろうと、江歌は自分では美味しいものも食べず、頑張って節約していました。物質的には豊かな家庭ではありませんが、精神的には幸せな家庭でした。

    私は江歌の教育に一生を捧げました。江歌は物静かで、自立できた、自制心のある女の子です。小さい頃からクラスメートと仲良くできていて、癇癪を起こすこともありませんでした。片親家庭で、親戚や知り合いも少なかったこともあり、江歌は友情をとても重視していました。誰にでも親しくして、優しくして、積極的に他人を助けていました。しかしこれが原因で、優しい江歌は、陳世峰から別れ行き場所のなかった劉鑫を自分の部屋に居候させ、悲劇に巻き込まれることになりました。24年間、江歌が賢く健全に育っていく様子を見ることができて、辛い生活ながらも幸せでした。江歌がいるだけで、どんなに辛くでも、幸せでした!

 
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[江歌がいれば私は幸せでした!]

    江歌は中学時代からアニメに興味をもち、「ハリーポッター」、「夏目友人帳」、「NARUTO」、「地獄少女」、「銀魂」などが好きでした。他に私が名前もわからないアニメもたくさん見ていたようです。微博(Weibo)ミニブログに書いた3327件の記事はほとんどがアニメと料理に関するものです。ミニブログを見れば、娘がどんな子だったか分かっていただけると思います。(江歌のミニブログのアカウントは「軽描淡写的左岸」です。)江歌が殺害された日以来、皆様からのミニブログへのコメントを拝見し、とても感激しています!江歌はアニメを通じて、日本の文化を学びました。歌手の大野智さんと彼が属する嵐が好きで、いつかコンサートへ行ける日が来るのを楽しみにしていました。江歌は優しい子で、動物が大好きでした。動物が傷つくのを見ると江歌は悲しんでいました。普段は礼儀正しくて、周りのみんなに愛されていました。

 
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[まだ最終回のCDを買ってなかったのに。]


 
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[動物好きの江歌!]

    江歌は日本文化が大好きで、大学時代に日本語を勉強し、三年生の時には日本語能力試験・1級に合格しました。家庭の経済状況をよく分かっていた江歌は私に対して、日本に行きたいとは一言も言いませんでしたが、私は、娘の日本に対する憧れと思いを感じとっていました。経済的には娘を留学させることなど夢のまた夢でしたが、周りの人の反対を押し切り自宅を売ることで、何とか留学資金を捻出しました。

    2015年4月、江歌は日本への留学に出発しました。出発前には、どんなに辛いことがあったとしても、お互いに励まし合おうと約束しましたが、同時に、これから江歌は知識と経験を増やし、視野も広くなり、だんだんと豊かで幸せな生活を手に入れてくれるはずだと信じていました。

   来日から半年後、成蹊大学院に合格し、2016年2月には法政大大学院に合格しました。2016年4月に法政大大学院に入学し、大学院一年生になりました。江歌は来日してからたった10ヶ月の短い間に、成蹊大学院と法政大大学院に合格しました、彼女がどれだけ努力したのか、分かっていただけると思います。江歌は来日してから1年以内に大学院に合格しようと決心していました。それは、留学を反対した人達に、自分の選択が正しかったと証明するためであり、また、早く卒業して、仕事して家計を救うためでした。江歌はいつも母親が必死に稼いだお金を使うのを申し訳なく思っていました。

 
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[秋天は私のあだ名です。]

    親元を離れ学校の宿舎に住んだ高校時代、大学時代、それに日本留学後も、江歌とは毎日電話か微信(WeChat)で連絡を取り合っていました。彼女が一人で海外に出て私は心配していましたが、娘も一人残された私のことを心配していました。娘とは離れ離れの生活でしたが、江歌がより良い教育を受けられ、輝かしい未来を手に入れられるよう、二人で励まし合っていました。私は、「私はまだ若いので、一人でも大丈夫だよ」と江歌に言っていました。江歌は、「仕事が決まったら、お母さんを迎えに行くから一緒に住もうね。」と言っていました。私と江歌は普通の親子と違って、なんでも相談できる親友でした。お互いに相手の幸せのためなら喜んで自分を犠牲にでき、全力で努力し合える関係でした。

    しかし、陳世峰の残忍な暴挙により、我々母娘は離れ離れになってしまいました!

 
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[中国CCTV(中国中央電視台)のニュース]

     2016年11月2日夜22:00頃、いつも通り江歌と話がしたくなりました。その日は、夜間授業があるものの、バイトが休みなので、授業が終わったらすぐに帰れると聞いていました。22:26、江歌と微信(WeChat)で音声会話を始め、11月3日00:08に電話を切りました。その中で私たちはいろいろたくさん話をしました。私は江歌に、「バイトより自分の体を大事にしなさい。」と言いました。江歌は「他の子が留学に来たのは実家にお金もあり、両親もいるからだけれども、私はお母さんの養老金(注:退職金の積み立てのようなもの)を使っちゃったのよ。だから、私は人一倍努力しないといけないのよ。」と話していました。そして「就職したら、私がお母さんの退職金を毎月積み立ててあげるよ。それに、少しずつだけど、旅行用のお金を貯めていて、2022年には300万円になるよ。」とも話していました。娘は私と世界周遊の旅行をしたいと思っていました。江歌は特に日本とドイツが大好きで、真面目で几帳面な人が多いところにも魅かれていました。江歌は有言実行タイプです。既にたくさんの会社説明会に参加していて、2017年中には就職できるように頑張っていました。彼女は日本で数年仕事をして、経験を積んでから青島に戻って、私とずっと一緒に暮らそうと考えていました。

    しかし今、私のそばにいるのは娘本人ではなく遺影です!江歌は素晴らしい将来の計画を立てていました。私も江歌の卒業を楽しみにしていて、やっと肩の荷を下ろせると思っていました。江歌が恋愛をして、結婚して、夫に愛されて、可愛い赤ちゃんを産んで、3世代・4世代の一家団欒を楽しめる日が来るのを楽しみにしていました。お母さんとお婆ちゃんが私のために道を切り開いてくれた。これからが二人を守ってあげるよ。」と、江歌は言ってくれていました!しかし、今私の世界が崩壊しました!!!

 
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[私の娘・江歌の日記]


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[ 在日華人と先生方は江歌の追悼会を催してくださいました。]

     今回の事件の前には、2017年の旧正月、江歌は大学の授業があるため、中国ではなく日本で合って一緒に年を越そうと約束していました。

    事件後の2017年の旧正月に、江歌の遺影を抱きながら、あちこちでさかんに爆竹が鳴っている風景を見て、寂しくてたまりませんでした。二度と娘に会うことができなくなってしまったのです!2018年3月の卒業式に参加すると約束も一生叶わないものになってしまいました!

 
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[今年一月、法政大大学院の校内で「江歌を偲ぶ会」が開催されました。]

   江歌は11月2日夜の最後の電話で当日の出来事を私に話していました。

・江歌が外出していた11月2日午後、陳世峰が江歌のアパートまで押し掛けて来たので、劉鑫は微 信(WeChat)で江歌に連絡した。

・江歌が「警察に通報しよう!」と言ったが、劉鑫はそれを拒否した。単身用の江歌の部屋に居 候していることが警察に知られたら、自分が出ていかないといけなくなり、住むところに困ってしまうというのが劉鑫の言い分だった。

・劉鑫は「戻ってきて、陳世峰を追い払ってよ。」と江歌にお願いした。江歌はアパートに駆けつけ、陳世峰に対して、その場を立ち去るように言った。

・しかし、陳世峰が帰ろうとはしなかったので、3人で中野駅まで行き、駅で別れた。江歌は大学の授業に、劉鑫はバイトに行った。

・その後、陳世峰は劉鑫のバイト先まで付きまとっていた。

   そして、劉鑫から「一人で帰るのは怖いので、JR中野駅で待ち合わせして一緒に帰宅してほしい。」とお願いされたと言っていました。とても寒い中、江歌は駅で2時間も待っていました。その間、心配する私に対して、「日本は治安が良く、警察の動きも早く、近所も優しい人ばかりなので、大丈夫だよ。心配しないでね。」と言っていました。

    普段なら、江歌がアパートに到着して部屋に入ったところまで確認して、電話を切り、私も安心してベッドに入っていたのですが、この日だけは、劉鑫と合流したということで、二人一緒であれば大丈夫だと思ってしまいました。そして今回の悲劇が起こりました。あれが最後の会話になるだろうとは夢にも思っていませんでした!あれが娘との最後の別れになってしまいした!

 
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[江歌と法政大大学院の先生、クラスメート]

    江歌は私の支え、生きる希望でした。事件以来、全てを失い、生きる希望も失いました!大使館から事件の連絡を頂いた直後、村長さんには「私がいなくなったら、私の持ち物を全部売り払って、母の老後資金を少しでも多く残せるようにしてください。」とお願いしました。私は最後に一目だけでも娘を会おうと、そして永遠に娘のそばにいようと思い、日本に行きました。江歌がいなければ、私には何の希望もありません。生きていても何の意味もありません!

 
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[最愛の娘!]

  「人を助ける前に自分の安全を確保しなさい!例え、助ける相手がお母さんだとしても、まずは自分の命だけは確保しなさい!あなたがいなくなったら、私とお婆ちゃんは生きる希望を失ってしまうから。」と、江歌にはいつも言っていました。江歌は、私に言われて通りいつも気を付けて生活していました。

    陳世峰は江歌を殺害しただけではなく、私と母までも殺したのと同様です。陳世峰は私たち家族三人を殺したのです!!!

 
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[幸せな家庭が破壊されました!母と私は生ける屍になってしまいました!]

    日本には知り合いがいないため、事件の連絡を受け取るまで10時間かかっていました。連絡を受けてからは、ネット上でも情報提供をお願いしつつ、ルームメイト劉鑫の元彼が犯人である可能性が高いと公表しました。(娘のことは誰よりも知っています。優しくて、周りとの関係も良く、人様から恨みを買ったこともない子です。それに娘から、劉鑫の元彼のことも聞いていました。)後日4日に、在日の華人が私の発表した内容を警察に伝えてくれていました。

  ネットで援助を求める内容を発表してから数時間以内に、たくさんの人から連絡をいただきました。心が切り裂かれるような思いで、すごく不安でしたが、成田空港に到着した時には、私の名前が書かれているボードがたくさんあって、悲しく冷え切った心が少し温かくなりました!飛行機から降りた直後、中野警察署に行きました。早く会いたくてたまらないと思っていた娘にようやく会えました。でも、母親に甘えながらおしゃべりをしてくれることもあった愛しい娘の明るく活き活きした姿ではなく、「お母さん」と話すことすらできない傷だらけの冷たい遺体でした!そう、遺体でした!心が切り裂かれました!!!どうしようもないまでに切り裂かれました!!!娘と一緒にあの世に行ってしまいたい!!!

    村長さんが村の方を付き添わせてくださり、村の方々がずっと私の世話をしてくださり、慰めてくださりました。とても多くの方々が、温かく援助してくださり、励ましてくださいました。そのような皆様から、私は生きる力をいただきました!

   私は生き続けることを決心しました!江歌が安らかに眠れるように、犯人が逮捕され、制裁される日を待ちます!

    人の命はそれぞれに意味があると思います。正義を求めることは、今生きている私の唯一の執念です!

    11月11~12日、多くの華人の方々、先生方とクラスメートの方々に、江歌の追悼会を開催していただきました!このまま東京に残って犯人の逮捕を待ちたかったのですが、私が見知らぬ土地で不便と不安の中、宛てもなく過ごす様子を、天国の江歌が見ているとすれば、きっと「お母さん、中国の実家でゆっくり犯人が逮捕されるのを待とうよ。」と言うのではないかと思いました。

   11月19日、私と江歌は日本の警察と華人の方々に成田空港まで見送っていただきました。雨が止むこともなく降り続きました。神様も江歌を見送りに来たのでしょうか?江歌のために泣いるのでしょうか?江歌を抱いて家へ戻りました、綺麗なところで埋葬しました!このような話をしないといけなくなるなんて、本当に辛い!今、この文字を入力する度に心から血が流れ出しています!!!

   11月24日、東京には54年以来の雪が降りました。11月の初雪でした。その日、中国の自室で中野警察署からの連絡を受けました。犯人が逮捕されました!やはり最初に思っていた通り、犯人は劉鑫の元彼、陳世峰でした!東京の大雪も江歌の惨い死を不憫に思っているのでしょうか?

     同時に、陳世峰が劉鑫を脅迫した容疑で11月7日に逮捕されていたことを知りました。11月24日、陳世峰は江歌を殺害した容疑で再逮捕されました。12月14日に起訴されましたが、現在まで、黙秘を続けているということです。

    娘が殺害されたてから293日目になりますが、陳世峰は罪の意識、後悔の念を少しも抱いていません。今になっても言い逃れをして、本人はもちろんのこと、陳世峰の家族からですら、謝罪のことばひとつもありません。

    一方、江歌の部屋に居候していた劉鑫は、自分ひとりが江歌の部屋に逃げこみドアを閉めてしまいました。その結果、江歌は自分の部屋の前で陳世峰に殺害さてました!江歌は命がけで劉鑫を守りました。それなのに、今までの293日間、劉鑫は一度も会いには来ていません!!!

     劉鑫の実家は私の家から10キロメートルくらいのところにあり、それほど離れていませんでした。今回の事件前には、劉鑫の両親が私の家を訪ねてきたこともありました。私は江歌の唯一の家族として、劉鑫を守って命を失った娘のために、事件の情報が知りたくて、明らかにこの事件の背景や状況を知っている劉鑫に話を聞きたかったのですが、劉鑫の家族は私からのあらゆる連絡を無視し、ネット上では私を連絡拒否リストに入れました。劉鑫に会いに東京にも4回行きましたが、会ってもくれませんでした。それどころか、追悼会も参加せず、命懸けで助けてくれた恩人に花1本すらたむけませんでした。

    劉鑫一家は村を離れどこかに引っ越ししてしまい、居場所をつかむことができなくなりました。仕方がないので、娘が殺害された200日後、ネットで劉鑫の居場所を探すことにしました。 以下は5月21日に投稿した、劉鑫の手がかりを求めるための協力依頼のリンクです。http://mp.weixin.qq.com/s/28ELLDSpoYDPD7fu0Vv3XQ

(なお、内容はすべて中国語です。)

    この後、私の連絡を無視し続けていた劉鑫の父親から、事件以来の初めての電話が来ました。劉鑫の父親は私を起訴すると脅迫しました。そして、劉鑫の母親は、江歌が殺害されたのは江歌自身が短命で、劉鑫とはなんの関係ないと言いました。

(下記は当時の電話の録音です。http://mp.weixin.qq.com/s/rOj7SFWVUN0EFvbbjmF2VQ

 なお、内容はすべて中国語です。)

    そこには、自分の娘が原因で江歌が惨殺されてしまったことに対して、申し訳ないと思う気持はみじんもありませんでした。劉鑫は新浪(Sina)社(注:SNSサービスの会社)へクレームを出し、私のミニブログを削除するよう要求しました。また、私に誹謗されたと日本の警察に通報しました。7月5日、私は警察への事情説明のため、東京へ行きました。警察は私の連絡先を控え、劉鑫を見つけたらすぐに連絡すると言ってくれました。今になっても劉鑫本人からの連絡は全くありません。娘が命を懸けて救った劉鑫とその家族の非人道的な態度が、既にボロボロだった私の心は更に大きく傷つけられました!

    娘が殺害されてから293日間、どんなものを食べても、その味を感じることができません。この料理はあの子は大好きだった、あの料理は嫌いだったと思い出しても、それらを実際に口にすると、体が受け付けずに吐いてしまうようになってしまいました。夜は安らかに寝ることもできず、目を閉じると陳世峰が刃物を持って江歌を何度も何度も刺している場面が脳裏に浮かんできます。できれば江歌の代わりに刺されてあげたいのですが、毎回、その場面が浮かんでくるだけでどうすることもできません。そして、劉鑫が開けてくれない自宅ドアの前で必死に苦痛に耐え、もがいている娘の姿が浮かんできて、毎回この上ない絶望感に打ちひしがれます!!!こんなに悲しくてつらいことはがあるのでしょうか!!!せめて私が代わりに娘の絶望と痛みを肩代わりすることができれば良かったのに!無実で善良な人間が、凶悪で自分勝手な人間に当たり前のように踏みにじられてしまう世の中でよいのでしょうか???

 
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[困っている人に手を差し伸べる、それが誤りだったのか?]

    全力を尽くして、私の全てをかけて育てた未来ある娘が、人生これからという時に、 陳世峰に惨殺されました!娘は何度も刺され血まみれになり、意識が遠のく中で、どれほどの恐怖と無念を感じたのでしょうか!それを思うと心がどうしようもなく痛みます。この心の痛みは片時も離れることなく、じわじわと私を苦しめ続けます!そう、一生消えることのない苦痛です!

  事件以来、私は壊滅的な打撃を受けました。元々これといった能力もなかったので、体力だけで何とか仕事をし、生活をささえていましたが、この事件のショックで、心身を病み、仕事もできなくなってしまいました。そして。海外での裁判に備えるため、既に財産も底をつきました。家族三人の生活が陳世峰に破壊されました!

    江歌の高校時代の先生は、8年間、江歌を自分の娘のようにかわいがってくれていました。江歌の事件で、その先生も大きなショックを受けてしまい、お仕事や日常生活にまで影響が出ています。中国国内の江歌の友達もこんなに優しい江歌が殺害されたなんて信じられない、とショックを受けていました!

  世界上12の国家と地域で、120を超えるメディアで、陳世峰が江歌を殺害した事件が報道されました。江歌の事件に基づいて、漫画も創作されました。

http://www.kuaikanmanhua.com/web/comic/27551

  (上記は漫画のリンクです。公式アカウントはTencentのリンクしか使えないため、URLをコピーして、ブラウザーに張り付けてください。

なお、セリフ等はすべて中国語です。)

 
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[江歌の事件の漫画の一部:劉鑫に鍵を閉められた自宅ドアの前の江歌]

    この事件により、多くの親御さんが、自分の子供が(江歌のように)積極的に他人を助けてあげるのは危険だと思うようになりました。自分の親がそのような心配をしていることを、海外にいる留学生達も認識しています。陳世峰の殺人は社会に非常に悪い影響を与えました。中国人の顔に泥を塗りました。日本の記者の話によると、この事件は大東文化大学に計り知れない損失を与え、日本人の中国人への見方にも悪い影響を与えたとのことです。

  「陳世峰を見て、中国人の資質を判断するのは間違っています。私がネット上に掲載した文書は、たった10日間でビューが2600万回以上に達しました。中国と日本の皆様、全世界の華人はみんな陳世峰の罪の重さを理解し、それにふさわしい判決を下りるのを待っています。」と、私は記者さんに言いました。

     日本の裁判所に対して、 陳世峰の死刑を強く要求いたします。そうでなければ、陳世峰は、永遠に人間の命の尊さを理解することはないでしょう!自分勝手に他人の命を奪ったとしても、大した罪にならないと、陳世峰に認識させてしまうでしょう!もし、陳世峰に対して死刑判決が出ないのであれば、正義がまかり通らず、善良な人も安全に暮らせない世の中になってしまうでしょう!もし、陳世峰が釈放されるようなことがあれば、社会に危害がもたらされるだけです!

 
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