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【史海钩沉】南朝鲜救国之声电台

2016-05-29 原创+编辑 电波之旅

南朝鲜救国之声电台

 

       很多关心朝鲜半岛事务的朋友都听说过救国之声,但有不少人认为它是韩国的电台,其实它在朝鲜。它于1967年开播,名叫南朝鲜民族民主解放联盟电台1970年更名为统一革命党之声1985年起用救国之声。该电台什么也听不清的时候居多,偶尔能听出个大概。有几次由于发射台人员的失误,用平壤电台的短波频率转播救国之声的电台。进入新世纪,它有了自己的网站(服务器在汤加)和电邮地址。
       在韩国前总统金大中对朝鲜进行历史性的访问后,2003815日救国之声宣告停播,体现了朝鲜的诚意。然而韩国的人民之声希望回声却不肯引退,它们仍在自欺欺人地说从平壤播音。
       救国之声停播后,韩国民族民主战线平壤支部每天在600-12001600-22001053348044504557KHz转播朝鲜中央广播电台的节目,开头于结束有它自己的呼号。2005年更名为反帝民族民主战线平壤支部 
       朝鲜的1053KHz(发射地在海州)长期受到韩国的超强干扰,直至现在,晚间在这个频率上依然有来自韩国的干扰声(类似警报声),短波则有稍微轻一些的时候。

 

 

小编有幸在2003624日收到过“南朝鲜救国之声”电台的回信,信件是从日本寄出的,但信函上打字的日期地点是2003125日首尔,当中省略若干字大家开脑洞想吧~


他们把这张节目时间频率的卡片称作QSL:


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这是ABI亚洲广播研究会上面的简介资料:

http://www.abiweb.jp/report/vonsayumi.htm

 

「救国の声放送」のあゆみ

 

 

 北朝鮮は196610月、朝鮮労働党代表者会議において、対南地下放送の開始を決定し、翌1967315日から「南朝鮮解放民主民族聯盟放送」という名で、出力50kWの送信機を使用して、12時間の放送を開始した。

 そして、1969825日、南朝鮮(韓国)の革命家達が南朝鮮革命を行うために創建した地下政党「統一革命党」が創党し、これを受けて1970615日、「南朝鮮解放民主民族聯盟放送」は「統一革命党の声放送」として新たなスタートを切った。

 今般、北朝鮮が対南誹謗放送中止の具体的な動きとして打ち出した「救国の声放送」の中止は、この「統一革命党の声放送」を原点としている。

 

 南北間の誹謗放送の中止は、197274日の南北共同声明でもうたわれ、韓国側は当時、地下放送である「統一の声放送」を中止したり、対北朝鮮放送であるソウル中央第3放送をソウル中央社会教育放送(現KBS社会教育放送)に名称変更したりするなど、その合意事項を履行したが、北朝鮮側は「ソウルから放送している」としていた「統一革命党の声放送」は中止せず、197331日には12時間だった放送を3倍の16時間に増強し、同年61日には駐韓米軍を意識した130分の英語放送を追加した。またこの頃には送信出力も100kWに増強した。さらに71日からは130分の朝鮮中央放送中継も開始し、最大出力は150kWになった。

197441日には放送時間を18時間30分、最大出力300kWになり、同年12月には112時間に延長し、翌月の197511日からは112時間30分の放送となり、最大出力も500kWに増強した。そして197631日には中波1135kHzの出力が1500kWになった。

19771月には一旦、放送時間が17時間30分に短縮された。

19781123日にアジア地域の中波放送局の周波数割当が10kHzステップから9kHzステップに変更されたのを受け、地下放送である「統一革命党の声放送」もこれに遅れること一ヶ月、1220日より中波1135kHz1053kHzに周波数変更を実施した。

 そして、1979620日からは110時間30分に、同年625日からは11時間30分に拡大した。

 

1985727日、「統一革命党の声放送」の母体であった「統一革命党」は、急変する時局の変化と党自体の発展の要求に合わせ、「韓国民族民主戦線」と改称し、韓国の広範囲な各界の民衆を社会階級的基礎とする大衆的な党に強化発展させた。それを受けて「統一革命党の声放送」も同年89日から「韓国民族民主戦線」が運営する「救国の声放送」と改称した。

 北朝鮮は同年815日、「救国の声放送」とは別に、新たな地下放送局を開局させた。その名も「民衆のこだま放送」で、「救国の声放送」と同様にソウルから放送しているとアナウンスしていた。これにより、北朝鮮の地下放送は、「救国の声放送」が110時間、「民衆のこだま放送」が13時間放送するようになった。韓国政府が1988年のソウルオリンピックを前に、1987年と1988年の夏に、標準時を1時間繰り上げるサマータイムを採用したが、「ソウルから」と偽称していた両放送局も、放送時間を韓国のサマータイムに合わせて変更していた。だが、ソウルオリンピックの頃には19時間放送していた「民衆のこだま放送」も、オリンピック終了後はその使命を終え、19896月には閉局し、その放送要員および設備は「救国の声放送」に引き継がれ、放送時間を116時間に大幅に拡大した。

 

 それ以降、放送時間には変化が見られなかったが、19866月から10月末まで「民衆のこだま放送」にミンヨンフン教授として出演していた呉吉男氏が、ドイツ経由で韓国に逆亡命し、19925月に地下放送についての詳細が発表され、北朝鮮の地下放送は朝鮮労働党統一宣伝部に所属し、平壌市興富洞の七宝山連絡所で番組が制作されていることが判明した。そして、北朝鮮に拉致された大韓航空の元スチュワーデス、成敬姫さんと鄭敬淑さんが「救国の声放送」のアナウンサーとして出演していることも明らかになった。

 呉吉男氏への取材によると、七宝山連絡所全体の要員は100200名規模で、放送局というよりは編集制作部署となっており、当時、建物の1階と2階に録音施設があり、1階に救国の声放送、2階に民衆のこだま放送があった。また、スタッフの中には在日同胞や日本人拉致被害者はいなかったが、英語放送要員は、曽我ひとみさんのご主人であるジェンキンス氏から指導を受けていたという。(ジェンキンス氏自身は放送には出演せず)

 

20037月の南北閣僚級会談において、北朝鮮は815日を期して、南北のラジオテレビによる誹謗放送の中止を提案し、「ソウルから放送している」とする「救国の声放送」は729日、「北側のこの歴史的提議に共感を表し、これに応えて、81日から全面中止」することを発表した。そして予告通り、81日の0時過ぎに、30余年の歴史に幕を閉じた。

 

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救国の声放送概要

 

局名: 救国の声放送

運営団体: 韓国民族民主戦線(実際は朝鮮労働党)

開局: 198589日(1967315日、「南朝鮮解放民主民族聯盟放送」として開局、1970615日は「統一革命党の声放送」と改称)

スタジオ所在地: 平壌市牡丹峰区域興富洞

送信所所在地: 平壌、海州、元山

 

送信機運用状況: 

4120kHz=平壌から送信している9665kHzの朝鮮中央放送とシェア

6010kHz=平壌から送信している6250kHzの平壌放送とシェア

4400kHz=平壌から送信している朝鮮の声中継波3560kHzとシェア(3560kHzが恒常的に使用されているため、現在は4400kHzは出ていない)

1053kHz4557kHz=海州から送信

3480kHz=元山から送信

放送言語: 韓国語、英語

局名アナウンス: 

 韓国語=クグゲ ソリ パンソンイムニダ(救国の声放送です)

 英語=This is the English language service of the Voice of NationalSalvation, the National Democratic Front of South Korea.

インターバルシグナル: 金正日将軍の歌

開始終了テーマ: 韓民戦歌

停波前のスケジュール(日本時間):

1200-1600 1053, 3480, (4400) 4450, 4557kHz

1900-0200 1053, 3480, 4120, (4400) 4450,4557, 6010(2300まで)kHz

0500-0930 1053, 3480, (4400) 4450, 4557kHz

0930-1000 1053, 3480, (4400) 4450, 4557kHz ←英語放送

4400kHzは停波中

 

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番組表(200112月調査)

 


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