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【意見】日中にはさらに多くの「福原愛」が必要

2016-09-13 人民網日本語版 人民网日文版


私は1969年に外務省に入省し、外交官として中国語を使ったやり取りをするようになった。当時、私は中国語のクラスにも参加していた。それまでは、中国の歴史や文化には興味があったものの、中国語を勉強したことはなかった。その時から2010年に外務省を退職するまでの人生の半分以上の間、日中関係に関わってきた。日中関係は、私の一生の仕事で、たくさんの中国人がサポートしてくれた。日中関係は日中両国だけでなく、アジア、ひいては世界の平和と発展に大きな影響を及ぼすということを、私は身にしみて感じている。私は、日中が連携協力できるなら、世界の平和と発展に大きく貢献できると堅く信じており、これは両国の義務でもある。(文:宮本雄二 日本日中関係学会会長、元在中国日本大使)

 

「等身大」の相手を理解することが日中にとって重要


私は、自分では中国のことを比較的理解している日本人だと思っている。そして、日中両国を熟知している私は、日中間の一部では、敵対心や恨みが存在していることが理解できない。理性的に分析すれば、両国がこのような局面になることはないはずだ。つまり、日中両国は理性的な判断が必要で、長く広い視野で戦略的な判断を下さなければならないということだ。両国は、何が自国の本当の利益で、自国の利益をどのように日中関係に反映させるかということをよく考えなければならない。

 


福原愛選手の公式ブログのコメント欄

 

日中は、お互いの社会や国民の本当の姿を理解する必要があり、等身大の相手を知らなければならない。どの社会にも、いい人もいれば、悪い人もおり、感情的な人もいれば、理性的な人もおり、裕福な人もいれば、貧しい人もいる。中国もそうで、日本の社会もそれと同じく、とても複雑で、人の価値観もいろいろだ。そのため、相手を単一のイメージとして批判するのであれば、自然と真相とは逆の方向へ進んでいくだろう。現在、日中がしなければならないのは、より多くの人を相手の社会に紹介し、個人交流を通して、「等身大」の相手を知ることだ。この話になると、最近開催されたリオ五輪で、多くの中国人が日本の卓球選手福原愛選手を応援していたのを思い出す。彼女に関する中国人ネットユーザーの書き込みを見ると非常に感動する。そこには、まるで友人のように彼女に関心を示し、応援する声が投稿されていたのだ。そのため、日中にはさらに多くの「福原愛」が必要と切実に感じる。


 

福原選手は小学校4年の時から毎年、半年以上を中国で過ごし、卓球の練習に励んだ。そして、17歳の時に、中国の卓球クラブに加入した。彼女が中国で経験したことは、決して簡単なことではなく、忍耐力と強い気持ちで、勇気を持って困難を克服した。特に、彼女は中国語がとても上手で、驚かされる。彼女の中国語は、生活の中で学んだ生きた中国語だからだ。私は、自分の英語は教科書で学んだものだが、中国語は生活の中で学んだのだと思っていた。しかし、彼女ほど流暢ではない。これは、彼女が完全に中国の社会に溶け込んだからこそ、得られた能力だ。彼女は、中国人と深く交流でき、加えて性格が謙虚で、外見もかわいいため、中国人に愛されている。本音を言うと、福原選手は、自分の考えを表現することがあまりない日本においても、謙虚な性格だ。彼女は日本の傾向を代表すると同時に、中国の状況も日本に紹介してくれ、中国人が「等身大」の日本を理解できるよう、大きく貢献してくれている。

 

日中は「アジアの目」を忘れてはならない


 

このように考えると、たった一人の人間を通して、相手の社会の一つの側面を理解できることが分かり、さらに多くの「福原愛」が必要ということになる。逆に、もし、中国の競泳選手傅園慧選手が日本で生活したことがあり、テレビで日本語のインタビューに応える様子が映されれば、「究極のパワー」といった言葉を使わなくても、彼女個人の魅力だけで、日本人は拍手喝彩するだろう。なぜなら、彼女の率直な言葉から、メダルを取るために努力している中国の選手の心の声を感じることができるからだ。これは、中国人とはどのような人なのかを生き生きと表すことができる、とても自然な方法で、抽象的な叙述ではない。そして、日本人に本当の中国人像を見てもらうことができ、日本社会が中国人や中国社会に対して親近感を抱くきっかけとなるだろう。そのようなイメージが一つ一つ積み重なって行けば、相手のリアルな社会を少しずつはっきりと知ることができるようになる。

 

実際にはそれだけではない。福原選手の物語は、日中の深い交流の歴史を思い出させてくれる。福原選手は、中国の卓球が世界一であるという理由で中国へ行った。また、たくさんの中国人コーチが日本を含む世界で活躍している。リオ五輪の中国女子バレー代表の郎平監督は若い時、「鬼の大松」と呼ばれた、故大松博文監督の下で厳しい練習を受けた。大松監督は、日本の女子バレーを世界一のレベルに引き上げ、周恩来元首相の招きを受けて中国を訪問したこともある。そして、中国では今でも、「大松監督は亡くなったが、彼の練習方法や技術指導、紀律などは、中国女子バレーで引き継がれている。スピードと変化に富む戦術や女性バレーには、必死に努力し、絶対にあきらめないという精神が詰まっている。これらは大松監督が築き、育てたものである」というように語り継がれている。中国人がこの言葉を私に話すたびに、私は心からの感動を感じる。スポーツの世界において、日中両国には、競争し合いながら、共に助け合うという関係ができているのだ。

 

数年前、岡田武史元日本代表監督が中国スーパーリーグに所属する杭州緑城の監督に就任したと聞いた時、私は中国の状況を詳しく説明しておく必要があると思ったため、彼が出発する前に、東京で彼に会った。そして、日中の違いや中国で何かをすることの難しさなど、たくさんのことを話した。しかし、彼はそういった事を全く気にとめていないようだった。「中国のチームの監督をなぜ引き受けたのか」と聞くと、「いろんな国から誘いをもらったが、中国に行くことにした。アジアのサッカーがいつか欧州のサッカーに勝つこと、それが僕の夢だ。中国が強くならなければ、僕の夢は実現できない。だから僕は中国に行き、中国を強くする」と岡田氏は話してくれた。岡田氏は今も、中国で自分の信念を守り通している。彼には「アジアの目」があったのだ。実際には、私たちは、「アジアの目」を忘れがちで、日中はアジアのために、力を合わせるべきだ。


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