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内山書店が74年ぶりに“里帰り”、天津で開店という不思議

耕雲 LivAiA 2021-07-13


❏ 内山書店が74年ぶりに“里帰り”



画像出所:内山書店ウェブサイト


天津市内のショッピングモール「天津鲁能城购物中心」に、このほど「内山書店」が開業しました。中国関連本を扱う専門書店として知られる内山書店(東京神田神保町一丁目)から“のれん分け”を受けたかたちで、店舗の入り口に掲げられた看板には、1世紀もの歴史を刻んだ伝来のロゴが使用されています。

内山書店のホームページでは、中国国内における商標使用権を取得したのは天津出版伝媒集団有限公司であることが明らかにされています。双方は商標権の排他的使用許諾契約を締結し、7月10日、天津で開業セレモニーの開催にこぎつけました。その模様は中国国内のみならず、NHKや読売新聞等、日本の大手メディアによる報道でも取り上げられています。


天津のテレビ局のディレクターだった趙奇さん(38)が内山書店に関する番組を制作したことがきっかけとなり、地元政府の協力を得た企業が東京の店から商標権を取得して、中国で戦後初めて天津に復活……

NHK

東京の内山書店と経営や資本の関係はないが、多数の日本関連書籍を扱い、日中の文化交流の場となることを目指している。

JIJI.COM(時事通信)


❏ 文化人サロンだった内山書店


画像出所:内山书店 Uchiyama Shoten 微信公众号


内山書店の軌跡をたどると、1917年にまで遡ります。内山完造・みき夫妻が上海で開業し、その後、1929年に現在の四川北路に移転します。戦後、国民党によって店舗が接収されるまで、内山書店は数々の作家、国文学家、思想家、社会活動家などが集う“文化人サロン”として異彩を放っていたと言われます。


当時、上海の内山書店に出入りした知識人の顔ぶれは、鲁迅、郭沫若、郁达夫、田汉、萧红、丁玲、夏衍といったように錚々たるものです。一方で、さながら日中学術交流の最前線だったといっても誇張ではく、日本の知識人が彼らと交流する場合には内山書店が窓口の役割を果たしていたそうです。



❏建党100周年で魯迅に脚光

100周年と魯迅生140

画像出所:内山书店  微信公众号

内山書店の店主、内山完造と交流があった文化人の中でも、最も親交があったとされているのが魯迅です。魯迅が生前、内山書店に足を運んだ回数は512回にも及ぶと言われています。また、魯迅が他界した際に行われた告別式に際しては、毛沢東、宋慶齢と並んで内山完造も葬儀委員に名を連ね、告別の辞を読み上げています。(※1955(昭和30)年8月「図書」に掲載された内山完造氏よるエッセイから。


今年は中国共産党の「建党100年」という大きな節目の年となりましたが、じつは魯迅の生誕140周年(魯迅は1881年9月25日生まれ)も目前に控えています。さらに、来年は日中国交回復50周年ということもあって、日本人にとってもゆかりのある作家である魯迅、そして彼と親交があった内山完造への関心が高まっていくことが想定されます。2人を軸に日中関係を語ろうという気運はますます盛り上がっていくのではないでしょうか。


❏孫文と梅屋の関係に匹敵!?


全国各都市にある人名を冠した道路といえば「中山路」「魯迅路」が代表的です。そこで、孫文(孫中山)と魯迅を対比して考えるという試みもなかなか面白いかも知れません。10年前の「辛亥革命100周年」の時を思い出してみましょう。日中国交回復40周年を翌年に控え、脚光を浴びた日本人がいました。孫文と国境を越えた厚い友情を築いたと言われる梅屋庄吉(1868-1934)です。


梅屋は日活の前身であるM・パテー商会を興した人物で、日本の映画産業の地盤を築きつつ、孫文を物心両面にわたって手厚く支援したことが知られています。1915年(大正4年)には孫文と宋慶齢との結婚披露宴を取り持つことまでしています。孫文にとっての梅屋、魯迅にとっての内山という存在は、いわばマルクスにとってのエンゲルスに匹敵するのではないでしょうか。いずれにしても中国の歴史を動かした重要なキーパソンであるのは確かです。


❏出店先が天津という不思議



それにしても多くの人にとって解せないことがあります。出店先が「どうして天津」なのかという疑問です。業界関係者の間でもまさかの出来事との声が聞かれました。天津、大連でブックカフェ「简汇空间(JADE WAY SPACE)」(  )を経営する馬駿氏も想定外だったと言い、「1,000万人の人口を擁する天津は文化のインフラは素晴らしいが、本の消費という点では遼寧省の大連と大して差があるわけではない」と天津のマーケットについて語っています。


それでもECサイトの「当当網」による調査結果で示された「図書消費指数」ランキングによると、紙製の本の消費額で天津は全国7位と上位にランクされています。「全民読書」という国を挙げてのスローガンのもと、天津市はあたかも内山書店、そして魯迅というブランド力を起爆剤として“町興し”に取り組んでいるかのようです。市政府の本気度も半端なものではなく、そんな熱い情熱と気迫が内山完造の子孫たちにも伝わり、“のれん分け”につながったのではないでしょうか。



❏故郷は中国、次世代に希望を紡ぐぐなかに見る

画像出所:「天津往事」微信公众号

中国共産党の「建党100周年」である今年は、魯迅の生誕140周年でもありました。さらに魯迅の足跡をたどるうえで看過できないことが一つあります。彼の代表作ともいえる短編小説「故郷」が雑誌『新青年』に発表されたのが、ちょうどいまから100年前、1921年のことなのです。「故郷」の最後にある一文は、高村光太郎の「道程」――「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」――に似た響きもあって印象深く、ご存知の方も少なくないことでしょう。


●「希望是本無所謂有,無所謂無的。這正如地上的路;其実地上 本没有路,歩的人多了,也便成了路。

●希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。それは地上の道のようなものである。地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」(竹内好訳)


果たして内山書店が74年ぶりに“里帰り“した先は上海ではありませんでした。はたまた魯迅が出自とする紹興でもありません。しかし、時代を紡ぎ、天津の地で新たな道を切り開いていくことに希望の光を見出せるのならば、今回の“里帰り”は天界にいる内山完造や魯迅にとっても本望だったといえるのではないでしょうか。(文・耕雲)




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