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管俊瑋:日本史學界關於唐代幽州的相關研究目錄(初稿)

管俊瑋 中古史研究資訊 2019-12-06


日本史学界关于唐代幽州的相关研究目录(初稿)

 

清华大学历史系博士研究生管俊玮

 

说  明


1、本文以2016年为限,共罗列相关论文与专著近200篇。目前只是草草成稿,恳请各位师友提供意见,笔者之后还将不断修改和完善。

2、本文在撰写时参考了以下目录:

鳥谷弘昭、吉田寅主编:《五代史研究文献目録(立正大学东洋史研究资料II)》,立正大学文学部东洋史研究室出版,1990年。

铃木正弘:《唐五代史学史関係文献目録(稿)》,《立正大学東洋史論集》(6),1993年。

铃木哲雄:《唐五代の禅関係論文分類摘要》,《愛知学院大学文学部紀要》23,1993年。

高濑奈津子:《第二次大戦後の唐代藩鎮研究》,堀敏一编:《唐末五代変革期の政治と社会》,2000年。

伊藤宏明:《唐五代民衆叛乱史関係研究文献目録》,(鹿大史学会)《鹿大史学》(55), 2008年。

曾瑞龙、赵雨乐:《唐宋军政变革史研究述评》,李华瑞主编:《唐宋变革论的由来与发展》,2010年。

胡耀飞:《唐末五代宋初日文論著綜合目錄(初稿)》,包偉民主編《宋史研究通訊》,第65期,2015年。

孙昊:《日本2000-2013年辽金史研究论著目录》。

3、在导师张国刚先生的支持下,我申请到了清华大学博士生短期出国项目的资助,同时在日本中央大学的妹尾达彦教授的帮助下,从20169月至20173月得以在中央大学进行交换留学,这里特此感谢二位先生的帮助和支持。本文的撰写主要利用了中央大学文学部东洋史资料室和中央大学图书馆(多摩主校区)所藏资料,笔者也曾多次前往永田町的日本国立国会图書館(东京本馆)查阅相关论文,在此对以上机构及工作人员一并表示感谢。除此之外,在明治大学气贺泽保规教授慷慨的帮助下,笔者不仅有机会参考了明治大学东亚石刻研究所中的相关资料,而且得以进入明治大学图书馆中查阅相关资料,这里也特别要向一直关心照顾我的先生表示感谢。笔者还曾拜托京都大学博士后期课程在读的李弘喆师兄帮忙搜集论文,特此致谢。

 

1935

加藤繁:《唐宋時代の商人組合「行」を論じて清代の會館に及ぶ》,慶應義塾大学:《史学》14(1)


1937

竹島卓一:《遼の上京城址》,《東洋建築》1(1)。


1951

矢野主税:《藩鎮親衛軍の組織と性格》,長崎大学学芸学部:《人文社会科学研究報告》(1)

堀敏一:《唐末諸叛乱の性格--中国における貴族政治の没落について》,東洋學會(東京大學東洋文化研究所内):《東洋文化》(7)。


1952

徳山正人:《馮道論と五代の世相》,大塚史学会:《史潮》(45)

平島貴義:《契丹の勃興期に於ける中国との関係--漢域を中心として》,《史淵》 (5253)。


1953

渡辺道夫:《河朔三鎮の一考察》,東洋大學白山史學會:《白山史學》(1)。


1954

谷川道雄:《「安史の乱」性格について》,《名古屋大学文学部研究論集》《史学》(3)。

青山定雄:《唐代の屯田と営田》,《史学雑誌》 63(1)


1956

宮川尚志:《唐五代の村落生活》,《岡山大学法文学部学術紀要》(5)。

栗原益男:《唐末五代の仮父子的結合における姓名と年齢》,《東洋学報》384)。


1958

堀敏一:《魏博天雄軍の歴史——唐五代武人勢力の一形態》,《歷史教育》66,后收入氏著《中國古代史の視點——私の中國史學》。

横井聖山(即柳田圣山):《興化存奨の史伝とその語録--中国臨済禅創草時代に関する文献資料の綜合整理覚書》1,《禅学研究》(48)


1959

松井秀一:《盧竜藩鎮攷》,《史学雑誌》68(12)


1960

柳田聖山:《唐宋五代の河北地方に於ける禅宗興起の歴史的社会的事情について》,《日本仏教学会年報》(25)。


1962

西川正夫:《華北五代王朝の文臣官僚》,東京大学東洋文化研究所:《東洋文化研究所紀要》(27)


1963

青山定雄:《宋代における華北官僚の系譜について》,《聖心女子大学論叢》(21)。

日野開三郎: 《安史の乱による唐の東北政策の後退と渤海の小高句麗国占領》,史淵 (91)

谷川道雄:《唐末の諸叛亂の性格》,《歷史教育》114)。


1964

末田修一:《唐代藩鎮の出界糧について》,《東洋史論叢: 鈴木俊教授還暦記念》。


1965

前嶋信次:《安史の乱時代の一二の胡语》,《石田博士颂寿記念東洋史論叢》。

青山定雄:《宋代における華北官僚の系譜についてその二》,《聖心女子大学論叢》(25)。

船越泰次:《五代節度使体制下に於ける末端支配の考察-所由節級考》,東北大学中国文史哲研究会:《集刊東洋學》(13)。


1966

菊池英夫:《節度使權力といわよる土豪層》,《歴史教育》145)。

伊藤正彦:《唐代後半期の土豪について》,大塚史学会:《史潮》(97)


1967

青山定雄:《宋代における華北官僚の系譜について》3,《中央大学文学部紀要》(45)


1969

伊瀬仙太郎:《安史の乱後における周辺諸民族の中国進出》,《東京学芸大学紀要·第3部門·社会科学》(21)。


1973

金井徳幸:《唐末五代鎮州(正定)に於ける臨済禅--鎮将王鎔並びに五台山文殊信仰との関連を中心に》,立正大学史学会:《立正史学》(37)

大澤正昭:《唐末の藩鎭と中央權力:徳宗憲宗朝を中心として》,《東洋史研究》32(2)

大澤正昭:《唐末五代政治史研究への一視点(学界展望)》,《東洋史研究》31(4)


1974

畑地正憲:《唐代河北藩鎭における交易について(大會抄録)》,《東洋史研究》33(3)

金井徳幸:《唐末五代五台山仏教の神異的展開--海難救済信仰への推移と新羅の役割》,《社会文化史学》(11)


1975

大澤正昭:《唐末藩鎮の軍構成に関する一考察--地域差を手がかりとして(-)》,京都大学文学部:《史林》58(6)


1978

谷川道雄:《河朔三鎮における節度使権力の性格》,《名古屋大学文学部研究論集 (74)· 史学(25)》


1979

愛宕元:《唐代前半期の華北村落の一類型--河南修武県周村の場合》,人文 (25) (京都大学教養部),后收入氏著《唐代地域社会史研究》,1997年。


1981

清水和恵:《唐代の軍閥:唐宋変革期における藩鎮体制とその意義》,《龍谷大学大学院紀要》(2)。

大澤正昭:《唐代華北の主穀生産と経営》,京都大学文学部:《史林》64(2)

井上順恵:《遼代千人邑会について》,《禅学研究》(60)。


1982

清水和恵:《藩鎮の研究史》,龍谷大學史學會:《龍谷史壇》(80)。

清木場東:《五代宋初の販塩制について--河北販塩制をめぐって》,鹿大史学会:《鹿大史学》(30)。

鈴木哲雄:《会昌の破仏と禅宗》,《印度學佛教學研究》30(2)

松田光次:《遼朝漢人官僚小考-韓知古一族の系譜とその事績》,小野勝年博士頌寿記念会編:《東方学論集:小野勝年博士頌寿記念》。


1983

伊藤宏明:《唐末五代政治史に関する诸问题-とくに藩镇研究をめぐって》,《名古屋大学文学部研究論集》ⅠⅩⅩⅩⅥ 《史学》(29)。

石田勇作:《唐•五代における村落支配の変容》,《宋代史研究会研究報告1:宋代の社會と文化》。


1985

愛宕元:《五代宋初における武人支配から文人支配へ》,《10世紀以降20世紀初頭に至る中国社会の権力構造に関する総合的研究》,堀川哲男編:(昭和59年度科学研究費補助金総合(A)研究成果報告書)。


1986

中村裕一:《唐末蕃鎮の墨敕除官に就いて》,《武庫川女子大學史学研究室報告》,第5號,1986年;收入氏著《唐代制敕研究》,汲古書院,1991年。


1987

畑地正憲:《唐代河北藩鎮下における商業発展について》,《東アジアの考古と歴史 : 岡崎敬先生退官記念論集》。

高橋学而:《中国東北地方に於ける遼代州縣城》,《東アジアの考古と歴史 : 岡崎敬先生退官記念論集》。

冨田孔明:《五代侍衞親軍考: その始源を求めて》,龍谷大学東洋史学研究会:《東洋史苑》(29)。


1988

谷川道雄:《河朔三镇における藩帥的承继について》,《中国古代の法と社会:栗原益男先生古稀記念論集》。

菊池英夫:《辺境都市としての「燕雲十六州」研究序说-研究の现状と若干の问题视角》,唐代史研究会編:《中国都市の歴史的研究》。 

渡辺孝:《唐五代における衙前の称について》,《東洋史論(筑波大)》(6)。

寺地遵:《遼朝治下の漢人大姓―玉田韓氏の場合―(鴛淵教授蒐集満蒙史関係拓本解題之一)》,《広島大学東洋史研究室報告》(10)。

中野醇子:《遼西京大同府と華厳寺》,北大史学 (28)


1989

河上洋:《渤海の交通路と五京》,京都大学文学部:《史林》72(6)


1991

渡辺孝:《唐五代の藩镇における押衙について》上      ,社会文化史学会:《社会文化史学》(28)。


1992

大澤正昭:《唐末五代「土豪」論》,上智大学史学会:《上智史学》(37)。

伊藤宏明:《名古屋大学文学部唐五代の都将に関する覚書》上,《名古屋大学文学部研究論集》(113)

伊藤宏明:《唐五代の都将に関する覚書》中,(鹿児島大学法文学部)《人文学科論集》(36)


1993

森部豊:《張国剛『唐代藩鎮研究』(書評)》,歴史人類学会:《史境》(27)。

渡辺孝:《唐五代の藩镇における押衙について》下      ,社会文化史学会:《社会文化史学》(30)。

本田精一:《〈兔園策〉考:村書の研究》,《九州大学東洋史論集》(21)。

大澤正昭:《唐末五代の在地有力者について》,《中国の伝統社会と家族:柳田節子先生古稀記念》。

畑純生:《唐五代の藩鎮とその国家体制への展開》      ,《龍谷大学大学院研究紀要·人文科学》(14)。

穴沢彰子:《唐末五代における在地編成——檢田制を中心として》,《大阪市立大學東洋史論叢》(11)。

伊藤宏明:《唐五代の都将に関する覚書》下,(鹿児島大学法文学部)《人文学科論集》(37)


1994

森部豊:《藩镇昭义军の成立过程について》,《中国史における教と国家:筑波大学創立二十周年記念東洋史論集》,后收入氏著《ソグド人の東方活動と東ユーラシア世界の歴史的展開》。

鈴木正弘:《安史の乱における士人層の流徙》,社会文化史学会:《社会文化史学》(33)。


1995

渡辺孝:《魏博と成徳--河朔三鎮の権力構造についての再検討》,《東洋史研究》54(2)。 

高井康行:《遼の『燕雲十六州』支配と藩鎮體制——南京道の兵制を中心として》,《早稲田大学大学院文学研究科紀要》別冊《哲学史学編》(21)。

河内春人:《東アジアにおける安史の乱の影響と新羅征討計画》,《日本历史》(561)。


1996

気賀沢保規编:《中國佛教石經の研究:房山雲居寺石經を中心に》,京都大学学術出版会。


1997

森部豊:《唐魏博节度使何弘敬墓志试释》,《吉田寅先生古稀记念アジア史论集》。

渡辺孝:《滎陽鄭氏襄城公房一支と成德军藩镇-河朔三镇の幕职馆をめぐる考察》,《吉田寅先生古稀记念アジア史论集》。

高橋学而:《遼南京(燕京)折津府の平面プラン》,九州古文化研究会:《古文化談叢》(37)。

伊藤宏明:《唐末五代における都校について》,《名古屋大学東洋史研究報告》(21)。


1998

森部豊:《略論唐代霊州和河北藩鎮》,《汉唐长安与黄土高原》。

森部豊:《唐末五代における中国北方遊牧民の華北移住と河北三鎮》,《史学雜誌》107(12)

穴沢彰子:《唐宋変革期における社会的結合に関する一試論―自衛と賑恤の「場」を手掛かりとして―》,中国社会文化学会:《中国:社会と文化》(14)。


1999

森部豊:《河北藩鎮における范陽盧氏の動向-「盧呂墓誌銘」訳註を中心に》,筑波大學東洋史談話會:《史峰》(8)。

伊藤宏明:《唐五代期における都頭について》,(鹿児島大学)《人文学科論集》 (50)


2000

能田敬:《河朔三鎭の変遷に関する一考察 : 魏博節度使を中心として》,《龍谷大学大学院文学研究科紀要》(22)。

竺沙雅章:《燕京大都の華厳宗——宝集寺と崇国寺の僧たち》,《大谷大學史學論究》(6)。


2001

森部豊:《後晋安万金何氏夫妻墓誌銘および何君政墓誌銘,《内陸アジア言語の研究》(16

稲葉穣:《安史の乱時に入唐したアラブ兵について》,《国際文化研究(龙谷大学)》53月出版),《東洋史苑》58 10月出版)。


2002

森部豊:《唐前半期河北地域における非漢族の分布と安史軍淵源の一形態》,《唐代史研究》第5号,后收入氏著《ソグド人の東方活動と東ユーラシア世界の歴史的展開》,2010年。

森部豊:《唐沢洛昭義軍節度使考-中晩唐期における唐朝と河北藩鎮の関係をめぐって》,野口鐵郎先生古稀記念論集刊行委員会:《中華世界の歴史的展開》。

森安孝夫:《ウイグルから見た安史の乱》,中央ユーラシア学研究会:《内陸アジア言語の研究(庄垣内弘教授還歴記念チュルク学特集号)》ⅩⅦ

松浦典弘:《「大唐邺県修定寺伝記」訳注稿》,《大手前大学人文科学部論集》(3)。

愛宕元:《唐代反側藩鎮の節度使徳政碑と墓誌銘--李宝臣徳政碑と何弘敬墓誌銘を中心として》,京都大学大学院人間環境学研究科歴史文化社会論講座编:《日本文化環境論講座紀要(4)

中田裕子:《ソグド人の東方活動について : 特に安史の乱前後を中心に》,《龍谷大学大学院文学研究科紀要》(24)。

川合康三:《馮道「長楽老自敍」と白居易「酔吟先生伝」--五代における白居易受容》,《白居易研究年報》(3)

穴沢彰子:《唐五代における地域秩序の認識--郷望的秩序から父老的秩序への変化を中心として》,唐代史研究会编:《唐代史研究》(5)


2003

気賀沢保規:《房山雷音洞石経和金剛経-開山祖師静碗的刻経事業意義試探》,香港天马图书有限公司:《北朝摩崖刻経研究(続)》。

伊藤宏明:《岡崎文夫の藩鎮論》,鹿大史学会:《鹿大史学》(50)

日名智:《燕雲十六州の割譲承認について》,東海大学史学会:《東海史学》(38)

今野春樹:《遼代契丹墓の研究--分布立地構造について》,日本考古学会

:考古学雑誌 87(3)

榎本淳一:《渤海が伝えた「大唐淄青節度康志曀交通之事」について》,佐藤信編:《日本と渤海の古代史》。

礪波護:《馮道: 乱世の宰相(改版)》,中央公論新社。


2004

森部豊:《8-10世紀の華北における民族移動》,唐代史研究会编:《唐代史研究》(7)。

森部豊:《唐末五代の代北におけるソグド系突厥と沙陀》,《東洋史研究》624)。


2005

気賀沢保規:《静琬と房山雷音洞石経--その刻経事業の歴史的位置をめぐって》,明治大学東洋史談話会:《明大アジア史論集》(10)

森部豊:《唐后期至五代的粟特武人》,《法国汉学》第10期。

武田和哉:《契丹国(遼朝)における宮都の基礎的考察》,条里制古代都市研究会:《条里制古代都市研究》(21)

田村晃一:《渤海上京龍泉府址の考古學的檢討》,田村晃一编:《東アジアの都城と渤海》。

井上和人:《渤海上京竜泉府形制新考》,田村晃一编:《東アジアの都城と渤海》。

井上和人:《渤海上京龍泉府形制の再検討--古代都城造営と国際関係 (特集新発見資料から見た「古代東アジア」) 》,大和書房:東アジアの古代文化 (125)


2006

市川清史:《中唐の藩鎭政策と李益》,昭和女子大学近代文化研究所:《学苑》(785)。

古松崇志:《法均と燕京馬鞍山の菩薩戒壇--契丹()における大乘菩薩戒の流行》,《東洋史研究》653)。

古松崇志:《考古石刻資料よりみた契丹()の仏教》,《日本史研究》(522)

赤羽目匡由:《いわゆる賈耽「道里記」の「営州入安東道」について》,《史學雜誌》116(8)

 


2007

気賀沢保規:《中国華北の仏教石刻と遺跡の調査報告(20059312)》,駿台史学会:《駿台史學》(130)

森部豊:《四世紀九世紀の黄河下流域におけるソグド人》,東方書店:《黄河下流域の歴史と環境-東アジア海文明への道》。


2008

森部豊:《ソグド系突厥の東遷と河朔三鎮の動静》      ,関西大学東西学術研究所:《関西大学東西学術研究所紀要》(41)。

古畑徹:《渤海王大欽茂の「国王」進爵と第六次渤海使--渤海使王新福による安史の乱情報の検討を中心に》,東北大学中国文史哲研究会:《集刊東洋学百号 (100):特別記念号》。

田中史生:《円仁の足跡を訪ねて(3)河北から山西へ》,國學院大學栃木短期大學史学会:《栃木史学》(22)


2009

気賀沢保規:《河北曲陽の八会寺仏教石経と華北刻経事業》,明治大学文学部アジア史専攻気賀沢研究室:《中国南北朝隋唐期における華北仏教石刻の諸相》。松浦典弘:《唐代河北地域の藩鎮と仏教―幽州(盧龍軍)節度使の事例から―》《大手前大学論集》(10)。

森部豊:《唐末•五代•宋初の華北東部地域における吐谷渾とソグド系突厥—河北定州市博物館所藏の宋代石函の紹介と考察》,荒川慎太郎, 高井康典行, 渡辺健哉編:《遼金西夏研究の現在》(2)。

河野保博:《円仁の足跡と唐代の交通路》,鈴木靖民編:《円仁とその時代》。

高井康典行:《遼朝における士人層の動向――武定軍を中心として》,宋代史研究会研究編:《宋代史研究会研究報告》第9集『「宋代中国」の相対化』。

工藤寿晴:《遼許従贇墓誌銘考釈--燕雲地域獲得直後における雲州の様相を観察する手掛かりとして》,東洋大學白山史學會:《白山史学》(45)。

武田和哉:《契丹国(遼朝)の上京臨潢府故城の占地と遺構復原に関する一考察》,荒川慎太郎, 高井康典行, 渡辺健哉編:《遼金西夏研究の現在》(2)。


2010

気賀沢保規:《金仙公主と房山石経をめぐる諸問題--礪波護氏の批判に答えて》駿台史学会:《駿台史學》(139)

森部豊:《ソグド人の東方活動と東ユーラシア世界の歴史的展開》,関西大学出版部。

山崎覚士:《中国五代国家論》,思文阁。


2011

気賀沢保規:《房山雲居寺石経山所蔵の隋唐石経「石経山九洞所蔵隋唐石経目録」の作成をめぐって》,明治大学東アジア石刻文物研究所:《東アジア石刻研究》(3)。

森部豊:《安禄山女婿李献誠考》,関西大学東西学術研究所編集:《関西大学東西学術研究所創立六十周年記念論文集》。

森部豊:《東ユーラシア世界におけるソグド人の外交活動に関する覚書》,橋寺知子, 森部豊, 蜷川順子, 新谷英治共編:《アジアにおける経済文化の展開と交流 3:アジアが結ぶ東西世界。

森部豊:《増補:78世紀の北アジア世界と安史の乱》,森安孝夫編:《ソグドからウイグルへ : シルクロード東部の民族と文化の交流》。

近藤浩一:《登州赤山法花院の創建と平盧軍節度使》,《京都産業大学論集:人文科学系列》(44)。

河野保博:《唐代交通路と「巡礼」の道の復原》,旅の文化研究所:《旅の文化研究所研究報告》(21)。

竺沙雅章:《遼金代燕京の禅宗》,《禪學研究》(88)

向井佑介:《契丹の徙民政策と渤海系瓦当》,京都大学大学院文学研究科:《遼文化慶陵一帯調査報告書2011》。 


2012

気賀沢保規:《房山雲居寺石経大型題記資料集稿I―「諸経題記」拓本録文》,明治大学東アジア石刻文物研究所。

森部豊:《「安史の乱」三論》,森部豊、橋寺知子主编:《アジアにおける経済文化の展開と交流5:アジアにおける文化システムの展開と交流》。

森部豊:《中国石刻資料のアーカイヴズ構築に向けて : その現状と課題》      ,関西大学アジア文化研究センター编:《関西大学アジア文化研究センターディスカッションペーパー =CSAC discassion paper 2》。

森安孝夫:《日本におけるシルクロード上のソグド人研究の回顧と近年の動向(増補版)》,森安孝夫編:《ソグドからウイグルへ : シルクロード東部の民族と文化の交流》。

新見まどか:《唐代後半期における華北東部藩鎮連合體》,《東方学》第123辑。

福島恵:《唐の中央アジア進出とソグド系武人:「史多墓誌」を中心に》,《学習院大学研究年報》(59)。

高井康典行:《唐後半期から遼北宋初期の幽州の「文士」》        ,早稲田大学東洋史懇話会:《史滴》(34),后收入氏著《渤海と藩鎮:遼代地方統治の研究》,汲古書院。

高橋学而:《遼寧省遼河流域の遼代州県城址についての踏査報告》  ,大谷大学真宗総合研究所:《真宗総合研究所研究紀要》(31)

河上洋:《五京制度の系譜》,《河合文化教育研究所·研究論集》(9)。


2013

気賀沢保規:《房山雲居寺石経事業と唐後半期の社会》,気賀沢保規编:《中国中世仏教石刻の研究》,勉城出版社。

新見まどか:《唐後半期おける平盧節度使と海商山地狩獵民の活動》,《東洋学報》951)。

新見まどか:《唐代河北藩镇に対する公主嫁降とウイグル》,大阪大学文学部:《待兼山論叢史学篇》(47)。

大澤正昭:《唐末から宋初の基層社会と在地有力者:郷土防衛復興とその後》上智大学史学会:《上智史学》(58)。

高瀬奈津子:《中唐期における五台山普通院の研究その成立と仏教教団との関係》,《札幌大学総合論叢》(36)

河野保博:《圆仁的求法巡礼和唐代交通路的复原》,《陝西歴史博物館館刊》(20)。

町田吉隆:《契丹陶磁の「周縁性」に関する検討(3)遼代の都城州県城制度との関連から》,《神戸市立工業高等専門学校研究紀要(51)

森部豊:《安禄山 : 「安史の乱」を起こしたソグド人》,山川出版社。


2014

気贺沢保规:《房山石经事业中出现的「巡礼」与会昌灭法》,北京师范大学历史学院、房山云居寺文物管理处、台湾中正大学历史系联合主办:"汉化·胡化·洋化——新出史料中的中国古代社会生活"国际学术研讨会论文集。

気贺沢保规:《房山雲居寺石經事業和巡禮:唐代後半期的社會諸相與信仰世界》,陈金华,孙英刚编:《神圣空间:中古宗教中的空间因素》。

気贺沢保规:《房山雲居寺石経題記資料集稿III―「巡礼題記」拓本録文篇明治大学東アジア石刻文物研究所汲古書院。

森部豊:《ソグド人と東ユーラシアの文化交渉:ソグド人の東方活動史研究序説》和《八世紀半-十世紀の北中国政治史とソグド人》,《アジア遊学 (ソグド人と東ユーラシアの文化交渉)》(175)。

新見まどか:《書評馮金忠著『唐代河北藩鎮研究』》,関西大学史学地理学会:《史泉》(119)。

山根直生:《藩鎮再考》,七隈史学会:《七隈史学》(16)。

林韻柔:《唐代「巡禮」活動的建立與開展 (気賀沢保規先生退休記念号)》,《明大アジア史論集》(18)

大山耕生、中尾幸一、町田吉隆:《衛星画像を用いた中国遼上京址平面図の作成》,《神戸市立工業高等専門学校研究紀要》(52)

栗原益男:《唐宋変革期の国家と社会》,汲古書院。


2015

気贺沢保规:《河北曲陽の八会寺仏教石経の全容とその位置》,気贺沢保规编:《中国仏教社会の基層構造の研究》。

気賀沢保規:《河北曲陽の八会寺仏教石経とその背景》,気贺沢保规编:《隋唐仏教社会の基層構造の研究》。

森部豊:《唐前半期の営州における契丹と羁縻州》      ,中央ユーラシア学研究会:《内陸アジア言語の研究(吉田豊荒川正晴還歴記念特集号)》ⅩⅩⅩ号。

新見まどか:《唐武宗期における劉稹の乱と藩镇体制の変容》,《史学雑誌》124(6)。

新見まどか:《唐代藩鎮と東部ユーラシアの歴史的展開》,大阪大学博士论文。

胡雲薇:《變革中的延續-唐宋之間的河朔士人》,《中国史学》(25)。

江草宣友:《円仁の求法巡礼と新羅人》,日本大学史学会:《史叢》(92)

金貞姬    :《8世紀半ば渤海と日本の「安史の乱」認識》,東北亜歴史財団編著:《渤海と日本古代環東海交流史》(2)。

金恩国:《渤海国とソグド》,東北亜歴史財団編著:《渤海と日本古代環東海交流史》(2)。

藤原崇人:《契丹仏教史の研究》,法藏館。   


2016

森部豊:《唐代契丹人墓誌に関する一考察:遼寧省朝陽市博物館所蔵新出墓誌の紹介を兼ねて》,《関西大学アジア文化研究センターディスカッションペーパー =CSAC discassion paper》(13)。

森部豊:《唐代奚契丹史研究と石刻史料》,《関西大学東西学術研究所紀要》(49)。

新見まどか:《平盧節度使と泰山信仰 : 『太平広記』所収「李納」伝を中心に》

関西大学史学地理学会:《史泉》(123)。

新見まどか:《唐末の盧龍節度使における「大王」号の出現》,《関西大学東西学術研究所紀要》(49)。

西村陽子:《唐後半華北諸藩鎭の鐵勒集團 : 沙陀系王朝成立の背景》,《東洋史研究》74(4)

丸橋充拓:《唐代後半の北辺経済再考》,京都大学大学院人間環境学研究科松浦茂研究室:《アジア史学論集》(10)。

古畑徹:《張建章墓誌と『渤海国記』に関する若干の問題》,《東北大学東洋史論集》(12)。

高井典康行:《渤海と藩鎮:遼代地方統治の研究》,汲古書院。



(感謝俊瑋兄授權!)



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