中译本错误不多,但比较拗口,我稍微改了几处。法文的拼写问题挺多,还有文中互引的页码是日文原版的,应该对照中译本重新定位一下。我的日文水平不行,提几处费解的地方,那些微妙的辞气我也把握不好。◎第155页:该流派当时仍然只是“山间溪流”,但是关于这一流派如何开始得以流传的问题,同样也是对追求救济“当下的我”乃至“我们”的“新佛教”的形成进行思考时的根本性问题。原文:この系列は、當時はいまだ「細い山間の溪流にすぎなかった」としても、それがいかに流れはじめたかという問題は、「今ここの私」ないし「私ども」の救いを求める「新佛教」の形成について考える場合に、より根本的な問題となるであろう。改:这一流派在当时还“不过是细细的山间溪流而已”,但如果考虑追求救济“当下的我”乃至“我们”的“新佛教”如何形成这一问题,那么这一派别最初是如何兴起的,则是根本性的问题。第155页:不过,相对于执政者的政策而言,最终极的问题在于堤坝建成之前,催生出这种潺潺溪流的人物精神,以及产生这种精神的历史社会条件的查明。原文:このような一爲政者の政策にあるというよりも、堰が設けられる以前に,細い流れではあっても、それを生みだし人々の精神と、そのような精神を生む歷史的社會的條件の解明にあると思われる。改:不过,相对于执政者的某一项政策,更为究竟的问题在于阐明堤坝建成之前,催生出这种潺潺溪流的人物之精神,以及产生这种精神的历史社会条件。第164页:根据记载,读完《妙胜定经》并称赞禅宗功德的慧思,在慧文禅师的指导下开始进行禅宗修行。原文:この記述によれば、『妙勝定經』を讀んで禪の功德を讃歎した慧思は、慧文禪師のもとにおもむいて、禪の修行に邁進した。改:根据以上的记载,慧思读《妙胜定经》,赞叹禅定功德,并在慧文禅师的指导下开始禅修。案:译者把“禅”都译成了“禅宗”,这样极容易产生误解,慧思与後来的达摩禅(禅宗),共享的内容是禅定。第166页:关于慧思的这一证悟,根据《续高僧传》的引用,“法华三昧·大乘法门一念明达”,但根据横超先生所言,这里的证悟是“体会到了《法华经》所说的一乘实相精神,或者也有可能是在其后的内容”。至少,慧思以这种证悟为核心完成《法华经安乐行义》等著作,是相当长一段时间之后的事,比本应完成《立誓愿文》的四十四岁要早。原文:慧思のこの證悟について、『續傳』はすでに引用したように、「法華三昧·大乘法門に一年にして明達し云云」と說明するが、橫超氏がいわれるように、ここに證悟されたものが「法華經の説く一乘實相の精神であると會得したのは、或いはそれより後のことであったかもしれない」。少なくとも、慧思がこの證悟を核として『法華經安樂行義』その他の著作をまとめるのは、かなり後のことであり、『立誓願文』を作成したはずの四十四歲よりも、おくれるであろうと思われる。改:关于慧思的这一证悟,上引《续高僧传》云“法华三昧,大乘法门,一念明达”,但根据横超先生所言,这里的证悟是“体会到了《法华经》所说的一乘实相精神,或者也有可能是在开悟以后的事”。至少,慧思以这种证悟为内核,结集成《法华经安乐行义》等著作,是相当长一段时间之后的事,比一般认为撰成《立誓愿文》的四十四岁要晚。第167页:安藤俊雄先生认为,“当时慧思的教学中心被认为放着《般若经》”。安藤俊雄氏は、「時の慧思的教学中心が般若经に置かれていたのではないかとも考えられる」としながら改:安藤俊雄先生认为,“当时慧思的教学中心是放在《般若经》上”。第167页:慧思在二十岁之后、三十四岁之前,恐怕是在三十二岁时,达到了证悟,但是“(十五岁以来,诵读经书而习得的)《法华经》的根本精神,确实(证悟后)没过多久,或者(证悟的时候)瞬间领悟到的”。不过,明确使用“法华三昧”的概念来进行把握,贯通《法华经》与《般若经》(以及作为释论的《大智度论》)等内容并将其作为核心来完成“大乘法门”的综合体系化,即使花了相当长的时间,也不足为奇。原文:慧思はたしかに、二十歳以後、三十四歳以前に、おそらくは三十二歳のころに證悟したものが、「まさしく(十五歳以來、誦讀して身につけた)法華經の根本精神であることを、(證悟のあと)間もなく、或いは(證悟のときに)瞬間的に領得した」ことであろう。しかし、それを明確に「法华三昧」という概念で把握し,法華經と般若經(およびその釋論としての大智度論)などに贯通したものを中核とする「大乘法門」の綜合的體系化に到達するには、かなりの時間を要したとしてもで不思議はない。改:慧思确实在20岁之后,34岁以前,大概是32岁时达到了证悟,但是“他15岁以来就将《法华经》带在身边诵读,对《法华经》根本精神的体认,可能是开悟之后不久,或者开悟当时获得的”。不过,慧思的“大乘法门”明确使用了“法华三昧”的概念来加以把握,将《法华经》、《般若经》(及其“释论”《大智度论》)等经典加以贯通,以此为核心构建的大乘法门所达致的综合性、体系化的程度,需要花费比较长的时间,也并不令人意外。第168页:如果把两者之间的差异进行对比,则可以看出“摩诃衍义”把《般若经》到《法华经》的时间推移过程作为必然考察要素。原文:この两者の差異を比較すれば、「摩訶衍義」の中心が、般若經から法華經へと、しだいに推移してゆく時間の經過を當然考慮すべきもののように思われる。改:如果把两者之间的差异进行对比,则应当考虑“摩诃衍义”的中心从《般若经》转移到《法华经》,其间经历了一段时间。第168页:《般若经论》以及作为其释论的《智度论》。改:《般若经》以及作为其释论的《智度论》。第173页:认为声闻、缘觉不过是钝根菩萨行者的修学方法而已。原文:それは聲聞・緣覺、せいぜいのところ鈍根菩薩までの行者的修學方法にすぎないこと。改:认为声闻、缘觉,或者充其量是钝根菩萨行者的修学方法而已。案:声闻、缘觉、钝根菩萨互不统属。原译容易产生误解。第176页:在达摩和慧思的时代,大乘禅得以特别主张的历史意义,是与南北朝末期大乘思想的兴起密切相关,并与禅宗实践门双翼戒律思想的新动向有关的大问题。原文:達摩や慧思の時代に、とくに大乘禪が主張されねばならなかった歴史的意味は、南北朝末期における大乘思想の興起につながり、さらに禪とならんで、實踐門の雙翼たる戒律思想の新しい動向にもつながる大問題であるが。改:在达摩和慧思的时代,特别强调大乘禅的历史意义,与南北朝末期大乘思想的兴起密切相关,而且与和禅并为实践门两翼的戒律思想的新动向有关,这是一个大问题。第180页:菩萨摩词萨亲近处改:菩萨摩诃萨亲近处第180页:如果想在这一期间一心一意护法,就要允许刚恶比丘被杀。改:如果想在这一期间一心一意护法,即使杀掉那些刚强邪恶的比丘也能许可。第187页:不亲近国王等安住菩萨行处及亲近处改:不亲近国王等,安住菩萨行处及亲近处第192页:Paul Magnin, La vie et l'auvre de Huisi改:Paul Magnin, La vie et l'oeuvre de Huisi第195页:遗憾的是我忽略了本文注[36]所引用山田龙城先生的论文。改:遗憾的是他忽略了本文注[36]所引用山田龙城先生的论文。第197页:德米埃维尔先生追思论文集改:戴密微先生追思论文集第201页:clans son Choix d'etudes bouddhiques改:dans son Choix d'études bouddhiques