日本人眼中的中国|日本人眼中的中国历史很有趣?
日本人眼中的中国
日本人から見た中国27
日本留学生 铃木
中国・南京で生活する日本人の私が、日本人から見て面白い中国人の姿をお話ししたいと思います。
今回は「中国の歴史」についてです。
作为生活在中国南京日本人,我想要向大家介绍一下站在日本人的角度看来中国有趣的地方。
今天我们来说一说“中国历史”。
唐突ですが、今年の五月一日を境に、日本の元号が平成から令和に変わります。一つの時代が終わるのです、哀愁を感じざるをえません。
在今年五月一日,日本的年号就要从平成变成令和了。对于一个时代的终结,有没有感受到一丝伤感呢。
导演在原宿拍摄的新年号发布直播
しかし日本の元号がこの様に注目されるようになったのは国民国家としての意識が確立した近代に入ってからであり、それ以前(特に古代)には天皇が適当に年号を制定していたことはあまり知られていません。
不过日本年号的变更受到如此瞩目是在近代确立民族国家的意识之后,在此之前(特别是古代时期),年号都是由天皇随意指定的大家并不大关心。
慶雲(704年から708年)は天皇が珍しい形の雲を見て感動したから慶雲、神亀(1570年から1573年)は天皇が亀を貰ってうれしかったから神亀など、時の天皇のネーミングセンスが問われるものとなっていたそうです。
庆云(704年-708年)是天皇看见了形状奇特的云朵深受感动所以定年号为庆云,神龟(1570年-1573年)是天皇收到一只乌龟之后非常开心所以定年号为神龟,像这样取出了很多想让人质疑天皇取名天赋的年号。
そういう意味で言えば、いつか私の名前も元号になれる日が来るかもしれませんね。啓太元年はないにしても、啓という字自体はとてもいい意味なので、次の次辺りの元号で使用してもらえる可能性も無きにしも非ず。見ていらっしゃいますか秋篠宮悠仁親王?
这样想的话,说不定哪一天我的名字也能变成年号。就算不能用启太元年,但是“启”这个字的意义非常积极,用来作下次再下次的年号也未尝不可。秋筱宫悠仁亲王请您看见我!
今回日本の年号は中国の歴史書からではなく、日本の万葉集から引用された訳ではありますが、令和の字は漢字であり、日本における中華文化の影響は大きいのだとみ見て取れます。
虽然这次的日本年号并非取自中国古籍,而是来自日本的《万叶集》,但是「令和」两个字是汉字,依然可以看出日本受到了中华文化很深的影响。
そこで今回は,この作者が中国史を学んだ際に感じたことを徒然なるままに書いていきたいと思います。
今天,我想来随便写一些在学习中国历史的过程中的各种感受。
第一に中国の歴史を勉強して感じたことは、中国は笑うしかない程に意味の分からない国だという事です。
特に王朝が変わっただけで、人口・面積は変わってないのに、国力がまるで別の国であるかの様に息を吹き返すのは、もう笑うしかありません。
在学习中国历史的过程中,我感受到的第一点,是中国真的是一个让人无法理解到让人觉得有趣的国家。
特别是在朝代更迭的时候,虽然人口跟面积都没有有变化,但是国力却能起死回生,真的让人觉得很有趣。
例としては、前漢が疲弊し、後に王莽により新という国が建国されます。しかしその15年後に光武帝により後漢が建国される訳ですが、結論から申しますと、後漢強すぎじゃね?
比如说,前汉国力凋敝,之后王莽建立了新的王朝。在十五年之后,光武帝又建立了后汉,从结论来说的话,后汉也太强了一点吧?
たった首都を当時の長安から洛陽に遷都しただけで、国土や人口はほぼ変わっていないはずです。しかしあの瀕死の帝国が半世紀も経たない内に元気もりもりスーパー帝国に変身してしまいます。もう訳が分かりません。
当时明明只是把首都从长安迁到了洛阳,国土面积跟人口几乎都没有变化。这样一个濒死的王朝在半个世纪不到的时间内居然变身为了强大的超级帝国。完全搞不懂其中的原因。
第二に感じたのは、中国文明の生命力。
言い方は悪いかもしれませんが、中国文明はホントに何されても滅びません!戦には負けても滅びない!だから結果は全て勝ち戦!こんな文明見たことない(笑)。
我所感受到的第二点,是中华文明的生命力。
说得难听一点,中华文明是无论如何也不会消亡的。就算打了败仗也不会消亡。所以最终依然取得了全胜。生命力这么顽强的文明我还从来没有见到过(笑)。
漢民族という観点から中国史を見てみると、中国史の大半は北方遊牧民族との戦いです。そしてよく漢民族の王朝は彼らに滅ぼされます。
故に日本人の中には漢民族は戦いが弱いだなんて言う人がいますが、私はそうは思いません。
漢民族が弱いのではなく、北方遊牧民が強すぎるのです!何ですか、彼らの意味不明な初期設定は!高い機動力(駆けつけた時にはもういない!)、暴力&不服従精神(インドのガンジーとは正反対)、何もない土地(だから侵略しても損しかない)、こんな民族相手に漢民族はよく3000年以上戦ってこられたなと感心するばかりです。
从汉族的眼光看来,中国历史中的大部分时间都在跟北方游牧民族做斗争,并且还时常战败。
所以日本有很多人觉得汉族的战斗力很弱,不过我却不这么认为。并不是汉族战斗力弱,而是北方游牧民族太强了。
他们的初始设定简直强大到无法理解。高效的行动力(赶到时他们已经不在了),暴力&不服从精神(与印度的甘地正好相反),手无寸铁(被侵略也没有损失)的汉族能跟这样的民族斗争3000年以上已经非常厉害了。
そんな中国のすごい所は、民族が危機に瀕した時こそ、客家や華人、華僑として至る所に分散し、文化を広げていくところです。
清朝末期や国民党時代にも東南アジアを中心に中国文化が拡散していきました。中国の軍事的影響力が下がるのと比例し、文化的影響力が増加するのです。めちゃくちゃです(笑)すごい!
中国的强大之处在于,面临民族危机之时,会以客家人、华人、华侨等各种身份分散到各地,扩散中国文化。
清朝末期跟国民党统治时代,都以东南亚为中心将中国文化进行了传播渗透。与中国的军事实力下降成反比,文化的影响力不断加强。这真是太厉害了!(笑)
そして私はいまそんな意味の分からない人々の国に居ます。居心地は悪くありません。毎日楽しいです。
こんな摩訶不思議な国の薫陶を受けて、私も変な人になろうと決意を固める筆者なのでした。
我现在就住在这个让人无法理解的国家里。住起来很舒服,每天都很开心。
笔者希望在这个不可思议的国家的影响下,能变成一个怪人。
感谢铃木小哥哥的分享~没想到作为一个日本人,他对中国的历史竟然有这样深刻的理解,真是让小编自愧不如。
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息